森林風致 循環的利用

 森林は再生可能な資源であり、環境を持続させる上で大きな効果を発揮したことは、誰もが認めているだろう。森林の再生を利用して循環的な木材生産のシステムを完成させたのが、ドイツ林業であり、その理論が林学として追求された。ヨーロッパでは、小麦の生産が古代より行われたが、輪作体系を次第に完成させた。輪作は休耕による地力の回復を図りながら農業を持続させるシステムである。近代初期のイギリスにおいて近代的な農業が確立したが、4区分の輪作で、休耕地も草地として放牧に利用される。しかし、それでも、地力の低い場所は、輪作の維持が困難となるのであろうか、植林されている区域を見かけた。畑地ー草地ー森林の土地利用の循環によって持続が図られるのであろうか。
 日本で明治初期に都市における木炭の需要が高まり、近郊地域で畑地にクヌギを植林して、畑地との輪作をはかる農業が成立したということである。日本の農業は水田を主にしている点で、水田の立地は固定化され、輪作ということはなかった。そのため、地力の衰退は、外部から肥料を投入する必要があった。その資源を持続的に供給した場所が山地であり、森林の再生の初期となるススキ草原や潅木、株立ちの樹木が採取され、循環的に利用されて、水田が数百年、あるいは2千年にもわたって、維持された。湿原は河川の氾濫原であり、初期の水田耕作に利用されている場合は、氾濫が災害であると同時に地力の再生に役立ってのであろう。それが人為的な山地からの草木の採取によって地力維持が図られたのであろう。
 森林は開墾においては、大きな障害物であり、邪魔者として戦う相手であった。その再生力は開拓者には恐るべき敵であったにちがいない。古代に農耕民が森の原始種族と対抗して森に魔物が住むものとしたこと、土地が森林の再生力を併せ持つ地母神であると考えられたことは、納得できることであろう。では、明治における北海道の開発に開拓民は森林に対していかなる意識を抱いたのであろうか。戦後にも、開拓が行われ、森林の開発が収入として役立ったことを北尾が記述している。森林の循環的利用は、長期の生活経験から、次第に拡大してくるのであろう。
 炭焼きが行われなくなって久しいが、昔を懐かしんで、地域の活動として炭焼きを再開している事例が見られる。富県でも20人くらいのグループで炭焼きを楽しんでおり、先日、その体験見学が行われたということである。その報告検討会から炭焼きの材料となる木材の入手が問題となった。山林が利用されないために手入れが滞っている現状から、炭焼きの材を得るために間伐などが広がることが、期待されたからである。森林所有者との了解で木材の採取がなされ、森林の手入れも進むことがわかったが、散発的に生まれたことで、資源育成の循環利用としては意識されえない段階である。
 マツタケ山のアカマツ林は用材林としては価値が少ないそうであるが、適度な疎林は風致を感じさせる林である。炭焼きで広葉樹林に手が入ることも、同じような効果を発揮するだろう。人の手が入り、接しやすい森林ができることは、林内に人を導入することにもなり、また、手入れして、利用する循環が成立するのではないか。以前の密接な循環関係を再生する上での契機が見られるようになり、そこに、風致の果たす役割も大きくなることが想定されるのである。