森林風致 森に住む人々

 ソローの「森の生活」は多くの人に読まれた本であろう。時にブームが再来して店頭に並んでいたことがある。19世紀前半のアメリカで「森の生活」が何故、書かれ、また、多くの人に受入れられたのか、文学史で論じられているだろうが、定かにはわからない。以前、ボストンで学会があって行ったことがあり、エクスカーションで郊外をバスが通過した時、森の中に住宅だ点在している様子が目に入った。森がどのようになっているかはわからなかったが、様々な広葉樹で疎林ではあるが、樹冠がつながっているようだった。森林の中で住宅は違和感がなく、住宅にとっても森林に融和しているようであった。通りすがりの風景で、1世紀以上も前の「森の生活」とのつながりは知る由もなかった。
 長年、勤めた大学構内は50haちかくあり、半分は森となっており、演習林が管理する区域もある。しばらく、構内にある宿舎地区で暮らしたことがあるが、森を切り開いた場所で、森の一角が建物の全面に庭の代わりに残されていた。この小さな切り取られた森を相手にした生活を過ごした。3本のカラマツがあり、1本は家に向かって突き出るように、前面にあった。カラマツの下、周りにサクラの低木などが見られ、ササとススキなどが混生していた。日陰になったが、切り開かれた側から西日が射し込み、午後になると明るく、暖かとなった。夏は朝の冷気が昼ごろまで残っていて涼しかった。ブロック造りの宿舎は外気の影響が直接、伝わり、とても快適な住居とはいえなかったが、敷地の樹林が居住環境を緩和させてくれた。
 毎日、眺める樹林から、様々なことが体験された。カラマツの枝が水平に伸びて陽光を受けている様、幹の樹皮のがさがさとめくれた様子、垂直に伸びる梢の生命力、ツグミ、モズ、などの野鳥の訪れ、などである。陽光に、風に、雨や雪に姿をかえて見えることも楽しめた。切り開かれた裸地にススキが進出して、その下にリンドウなどの野草が花をさかせた。ノシバが勢力範囲を広げ、ネジバナが花をつけた。建物の周りが、少しづつ植物に覆われ、森と家とが融和してくる様子を体験した。
 構内の施設自体が森の中にあって、森が直接、体験できた。敷地はこの森につながっていて、様々な場所を見つけることができた。雪のグランドにはウサギの足跡やキツネやイタチなどの足跡が沢山つけられ、リスなどがチョコチョコと木に登る姿を見かけた。オニグルミの木の下にクルミを拾ってリスの食べかすが沢山あった。時に樹氷が生じて朝日に木々がきらめく様は例えようもない景色だった。朝露のついた木々の葉ときらめき、森の中の木洩れ日が、樹冠の風の動きに合わせて変化する様子も例えようがないものであった。紅葉の美しさ、木に花を見つけた時の印象深さもあった。一瞬の経験が長く記憶に留められた。
 森の生活のブームは、別荘ブームと時期的に重なっているようにおもうが、どうだろう。別荘ブームは昭和40年代の高度経済成長期の賜物であろう。都市に人口が集中し、マンションなどの都心居住が拡大するとともに、庭付き住宅を別荘として持ちたいという、中産階級層の増大が需要となった。別荘は軽井沢などで外国人の避暑地に始まり、日本の上流階級に広まり、それが、高度経済成長の終焉となる列島改造の開発ブームとともに、中産階級の別荘へと広まった。敷地も狭くなり、1000坪が300坪となり、200坪以下のものも現われ、住宅地と変わらない状態となった。そうした敷地に森林を残していることが、自然の中にある別荘のイメージを確保するものとなった。信州ではカラマツなどの植林地が開発され、過密なカラマツ林がそのまま保存される状態の時期があった。所有者が別荘生活を始めると、敷地内の森林が居住環境と対立していることで、間伐などの要求が生まれた。芝生などを必要とすると森林を敷地に残すことはできなくなり、開放的な庭の別荘も出現するようになった。別荘生活が自然と触れ合った楽しまれる状態も住民の個性によって多様になったと考えられる。かくして、都市と週末に往復する別荘生活が定常化する人々が生じたと考えられる。
 そうした別荘生活者は森の生活を享受できたのであろうか。八ヶ岳の別荘地の人々と交流したことがあるが、カラマツ林の林床に残る野草を楽しみ、ササの繁茂に悩まされて、カラマツ林をどう扱うか、困っていた。カラマツを間伐するとササが繁茂することになり、野草を衰退させてしまう。柳生博は別荘暮らしの中で、カラマツ林の改造を進めて、広葉樹林と野草の生育する林床を作り出した。それを近隣に広げて、森林の改良と別荘暮らしのスタイルを作り出した。
 ソローの森の生活は思想的な意味、人の生き方に自然がどのように作用するのかを思索することであった。それが当時の人々に森の生活が感銘を与えるものであったのであろう。森の生活を淡々とすごしながら、様々な出来事が起こり、その経験が思索された。別荘住民も様々な出来事に遭遇し、自然と交流するだろう。しかし、ソローのように時代の要求する思索と都会人の安息の要求とはかけ離れている。別荘地の森林は地域の財産区などの共有の土地である場合が多いが、別荘住民と地域住民との交流は希薄であるようである。別荘を求める人々のなかでも、農業に触れる生活を求める人々もいるが、農作業を媒介として地域住民との交流が生まれる可能性がある。森の別荘生活はそうした機会が少ないからなのであろう。