風致と風景 地域制自然公園の考え方

 自然公園制度は、田村剛などの国立公園制度の検討のもとに、地域制がとられることになり、今日も継続している。地域制は区域指定を行うということが特徴となるが、国が主導して国立公園の区域指定を行ったといえるのであろうか。戦前、最初に指定されていった国立公園の場合にも、指定を受ける地域の側からの陳情が多かったということである。区域の範囲も地域の要望が加味されていないとはいえないのではないか。とすれば、国が区域指定したという意味の地域制と地域の側が区域への編入を要望した結果として区域が決まったという両面を考えてもよいのではないだろうか。広大な自然を対象とした自然公園区域は多くの地域を包含して構成されているが、これは多くの地域の包含されたものとして、自然公園区域が成立しているといってもよいのであろう。
 山岳の稜線は地域を区分する境界であることが多く、多くの地域の一部である源流域を自然公園区域が包含することになる。山岳自然公園の多くが市町村界、県境などを包含している。こうした地域連合としての自然公園の成立が必要となってきたのではないか。施設中心の観光地域も、自然環境を生かすことが必要とされるようになるにつれて、自然を保護し、利用するという自然公園の性格に適合してくる。自然資源としての山岳は一つの地域だけのものではなく、包含する地域の共同的な資源として認められるようになってきたのではないだろうか。中央アルプスにおける高山植物復元の事業などの森林管理署の事業に市町村が協力している状況などから、こうした地域連合の姿を思い浮かべた。しかし、事業は部分的であり、継続的な組織として運営されない点では、一過性の状況であるのかもしれない。
 地域計画の端緒はドイツのルール地域に成立したものであることが指摘されている。その起源は流域の水質保全のための地域連合があり、交通網整備、住宅供給、緑地確保などにまで広げられたと指摘されている。今日、水源問題では流域上流と下流の関係、森林による流域安定などが問題となっており、生活圏として、広域連合や広域市町村合併など、行政、自治体の連合、広域化も現実化している。しかし、山岳などの自然環境を中心においた連合は、生活圏では成立しがたい。自然公園を通じて地域連合が成立するととすれば、地域連合の範囲は自然環境の障壁を越えて広がり、広範な連合を形成して、ドイツにおけるような地域計画の組織に展開する展望も見えるかもしれない。
 生活圏に対して自然環境はその残余の境界の土地であったものが、豊かな自然環境を資源として周囲に地域が寄り集まるというような転換も考えられるだろう。しかし、現在の自然環境はその豊かさを以前よりも消失していっているように見えるのは何故だろうか。自然環境も生産的な利用、林業や放牧などによって、多様な利用とともに、多彩な変化を見せていた自然環境が、放置され、制御できない自然環境となっていることが要因となっているのではないか。自然に接する利用者は自然を楽しみにきているのに、その自然を損なう人が中にいるというのも寂しいかぎりである。環境の重要性の認識、自然環境の評価などの高まりは大きくなっており、豊かな自然環境の再生と地域連合の構築が相乗効果を生み出すように、国立公園における環境省の役割は今後ますます大きくなるものと期待している。