森林風致 森林休養

 戸外レクリエーション活動が森林で行われることにどのような効果があるのであろうか。森林だけに限らないとすれば、草原、農地、海岸、都市、施設環境を上げることができ、それぞれ、レクリエーションの環境として選ばれている。活動する⇔休息する、施設⇔自然環境の軸でレクリエーションの内容を区分してみると、場所の違いは自然環境によるものとなるのであろう。活動として歩くという活動は、どのよう場所のレクリエーションにも含まれる。歩く活動に付随して休息が行われる。歩く、走ることは、交通手段を使わない、移動であり、日常の行動の一部でもある。その行動がレクリエーションとして取り出され、歩くことが目的化されて、散歩などのレクリエーションとなる。また、休息が目的化されて、時間が延長されることによって、保養などのレクリエーションとなる。また、生活時間における、労働の疲労に対して、その回復は休息によって行われる。労働が行動の自由を拘束し、労働からの解放は、個人の自由、人格の回復であるという面があり、再創造としてレクリエーションの意味があり、休養となる。
 歩くこと、休むこと、その他の活動を目的として、森林内でそれが行われることに、どのような効果があるか。これは各自に聞いてみる必要がある。直立歩行は、人類が草原で生活するようになって必要となり、先天的な能力として身についた。手と目の能力が、頭脳の進化と結びついたのは、チンパンジーのような人類の祖先が森の中で樹上と地上の生活を行っていたことから来ていることを、脳研究の最前線で示唆している。感覚と頭脳や身体能力が、人類の進化の過程の環境適応に由来して説明されるようになってくると、この環境での体験は、先天的な(原始的な)能力を発揮し、潜在的な進化の過程の適応を追体験するものといえる。だから、草原で走ること、森林を探索して歩き回ることが必要だという理由になるのであろうか。
 レクリエーションが趣味であるなら、趣味は人の自由である。身体にとって健康のためならば、誰にも必要な活動である。発育にとって必要なものであるなら、保育、教育の中に含まれる問題である。歩くことを健康のために行う人は多くいる。歩くことが趣味であるとするならば、歩き方に個性があるはずであり、特別の自己を高める意識が働くはずである。保育、教育の問題であるならば、学ばせることの内容と必要があるはずである。単なる歩くことが、レクリエーションとして、3つの要件に関係するためには、場所が重要であるということになる。歩くことが、身体を鍛え、身体を知るとともに、歩く環境を感じ、知ることになり、歩くという行動を通じて環境と交流し、その交流の仕方を向上させるものだといえるだろう。そうした環境として森林の閉鎖的で複雑な環境は、様々な刺激をもたらす独特の空間として重要な要因であろう。