森林風致 林間歩道

 登山道の整備は毎年必要である。主に草刈が主であろう。草刈が滞ると踏み分け道は1年間でどこか分からなくなってしまう。しかし、林間の道は、日陰となり林床の植生の繁茂は抑制されるので、草刈はそれ程、必要ではなくなる。一方、裸地となった路面は、坂であり、流れの通り道となるとたちまち、侵食されてしまう。草はその侵食を防いでくれる。また、路傍の日の当たる場所には多種の草花が生育し、楽しめる。林冠が閉鎖すると下方の植生は衰退する。
 歩道の維持は難しい。かって炭焼きに通った道も炭焼きが無くなれば途絶えてしまう。山の中には途絶えた道がいくとおりもあるのであろう。あるいは、けもの道でも、使われなくなったけものみちもいくつもあるかもしれない。道のない山腹を何人もが踏み分けると、幾とおりもの道すじができる。その内歩きやすい道はどれだったのだろう。道を見つけるのも高度な能力である。最短の道さえも自然環境の中では様々な要因によって簡単に見出すことはできない。人によって歩幅が違い、視線の向ける方向も違う。まあ、どんなに違っても目的地に到達できればよい。短時間で楽につければ更に良い。最適な道は以前使われた道に行き当たることが多い。最短の道はけもの道か。きこりとなり、炭焼きとなり、けものとなって、道なき道を歩きまわれば、使われた道筋を見出すことができる。
 楽しむ人のための道はどんな道であるだろう。面に広がる森林に線的な移動を固定した歩道は、林内の見所を巡る順路であり、林内の空間を知覚するものとなる。一方で歩きやすさが条件となる。歩きやすい道を見つけるのは前述の通りであるが、山で働く人は、歩きやすい路線を見つけるのが、直感的で非常な速度であることを体験した。自分の歩道設計では2度、3度の試行を積み重ねてやっと決定したが、炭焼きの道に行き当たっていた。斜面の道は、歩きやすい勾配で曲折しなくてはならないが、勾配の選択、曲折から曲折への延長をどれだけにするか、などで幾とおりも異なる設定ができる。尾根の凸部と沢の凹部、山腹の斜面の地形的特徴を生かしながら曲折させることも重要である。様々な可能性があるだけに最適な道がいずれにするかという論拠は得にくいものである。一方で歩きにくい道は、勾配や延長や曲折に無理があり、景観ポイントを無視しているなどの指摘ができるだろう。
 林内は閉鎖空間であり、林間の歩道空間は林内空間に連続しており、歩道空間は歩行行動の場所であると同時に、林内空間を知覚することになる。歩道空間と林内空間とが異質な空間として境界を接するとき、人工と自然との断絶した対比となる。森林内に付けられた舗装された一定幅の通路、直線的な通路、目立つ舗装面の色彩、路肩や排水溝のコンクリート材料などは、この対比を強調する。逆に調和するためには、歩行空間が目立たないことであり、踏み分け道程度が最も馴染むものといえるだろう。人工的な歩道も時間とともに、落ち葉などで覆われ、路肩が崩れ、路面に草本などが侵入して、自然的な踏み分け道に変化していく、そうした自然回復の状態を維持するような管理を行えばよいということもいえる。しかし、最初から自然的な歩道を作って維持すれば済むことであるだろう。