森林風致 施業林の風致

 林業経営者は、日本では数の上で僅かであり、経営規模も数百haが多いのであろうか。大学演習林の経営規模で考えれば、200haで内、100haをヒノキ林として経営区域と考え、0.3haを伐採すれば、輪伐期はおよそ300年となる。技官、技能職員が数人の体制では、教育研究にも関わらなくてはならず、労力の限界である。経済的には、定員職員の賃金と事業費が別途に使える点で成り立っている。森林蓄積も数十年生が最高齢であり、法正な林齢配置に到っていない点で、森林経営が成立しているとは言いがたい。
 森林経営の困難は、労賃の低さで補われるとしたら、高度な林業技術を追求することが困難となる。木材価格が低い点で伐採の採算が取れない程であるとすれば、収穫さえも覚束なくなる。人工林の収穫、手入れが滞るのも当然であろう。育林は補助事業によってやっと維持されているのが、実態であろう。そこでも、森林成長が将来の木材収穫で利益につながる目標が見えない点で、どのような育林を行うかの方針が立てられないであろう。
 森林経営は、林地の大規模な所有の上に、過去の蓄積が無くては成り立たないであろうから、何代かの努力の上で成り立つのであろう。しかも、時代の波をかいくぐり、有能な後継者を育てて、経営を引き継いでいく必要がある。このような森林経営が僅かながら行われていることを聞いているが、それが成立しうる可能性は極めて低いことが、理解できる。しかし、継続した森林経営は、最小の労力で最大限、自然の力を利用して、施業林としても、森林環境としても、最高度の調和をもたらすにちがいない。
 こうした森林経営を成立せしめるには高度な林業技術が基礎にあることが不可欠であり、緻密な自然観察と周到な作業計画を担う現場技術者に負っている。それは、立地の状況に適合して、収穫を行いながら、林木の成長と森林更新をはかるという循環的な施業が、経営区域の全域を動的に循環させていく経営計画と有機的に連結しているものと想像する。こうした施業林で風致的な配慮が付加的に可能となるだろう。「森林美学」に言われるように風致への配慮が、林業家にとって森林育成意欲を高めるように作用することにもなるであろう。
 どんなことが風致的配慮となってくるかは、現地の状態と対応している。一例として、河畔では植林木よりは、自然的に成立した樹林を尊重する。谷、水辺の自然環境を生かし、災害の危険の大きな谷の災害防止にもなる。しかし、施業林と異質な天然林の要素を、対比的に配置すればかえって不自然さを強調する。対比ではなく、漸層的な連続性が必要といえる。施業林の部分の風致的改良として、ザリッシュのポステル式間伐で下層木を残すことが行われるが、人工林に自然的な景観を加える効果に加えて地力保持の効果が挙げられている。