森林風致 ススキ草原

 植生遷移の系列は各所に示されており、1年生草本から多年生草本・高茎草本の草原へ、陽性樹の森林から陰性樹の森林への変遷を知識と知っている。草原には自然草原と畜産などに造成された人工草原があり、自然草原にもシバ草原とススキ草原、これにササ草原、湿原も加えられるという考えも知っている。また、林縁、林床には草本層が見られる。しかし、遷移の系列の一端である草原は、動的に次の系列に移行し、固定的にとらえることは難しいようである。動的な移行には進行遷移と退行遷移があるということなので、退行遷移によって安定した草原をとらえることはできるかもしれない。しかし、退行させる要因が人為であり、どのような人為が退行状態で草原を安定させるかが、問題となる。
 土田先生は「しなの帰化植物図鑑」を出版されたが、霧が峰高原の草原持続に長年、取り組まれた研究の一端であるといえるのであろう。霧が峰高原が火入れなどの停止で森林化が進行していること、一方で観光利用による踏み荒らしで、雑草(里に見られる草本)、帰化植物が侵入していることが、問題とされた。40年近く前からヒメジョオンの除去作業にも取り組まれた場所である。しかし、産業的に、人為的管理が困難となれば、森林化は止めることができず、荒廃地の修復をしなければ帰化植物などの侵入を抑制することも困難だろう。
 ススキ草原は草刈、火入れによって維持されてきた所が多いのだろうが、こうした草原を見ることが難しくなった。高速道路建設が盛んだった時期、切土法面は外来の牧草で緑化された。中央高速道が開通していったのは昭和50年代であったが、牧草は衰退し、やがてススキ草原へと変化していった。数年前に茅葺屋根の材料として高速道路法面のススキを採取できると、材料を集めていた業者が喜んでいた。ススキ草原はアカマツが侵入し、大きくなってきたが、現在、そのアカマツの伐採や剪定が行われているようである。法面にもススキ草原のまま持続することはなさそうである。
 伐採跡地にもススキ草原が成立するが、大芝村有林ではススキ草原とともにアカマツ、シラカバだけでなく、コナラ、サクラ類、カエデ類など様々な樹種が混生していた。アカマツが成長してくると、優占して、過密な状態となってススキ草原ばかりでなく、他の樹種を衰退させるようである。しかし、アカマツが競争して疎開してくると、それまで衰退していた樹種の成長が復活してくる。それまでに、他の樹種もアカマツによって残存木は疎開している。ススキ草原を構成していた草本や、ツツジ類なども長く、林床に維持され、疎開した時に復活の機会を狙っているようである。アカマツが成長し、下層に広葉樹やヒノキが生育して、多段林の構造となってくると、ススキは見られなくなるようである。
 ススキ草原は、生産的目的がなくなると、荒廃地の植生回復であるのに、荒廃地以上に荒地と見られる。伐採跡地でも植林木の支障となるものとして、数年の下刈作業によって抑制される。しかし、ススキ草原には日本人の親しむ秋の七草などの草本類が混生する原風景である。秋のススキの穂の輝きは何物にも変えられない美しさがある。草刈の利用も火入れの管理が無くなって、枯れ穂が株を構成してくると、その姿はみすぼらしいものである。しかし、腐食をたくわえ、土壌を肥沃にして、森林化への準備を進めているといえるのである。しかし、もう、森林化が進み、ススキ草原の生育地を縮小し、その持続を困難にしてしまったのである。