場所と場面の構造 地域計画

 生活は居住を起点とする点で、居住環境の改善が問題とされてきた。歴史的な過程のもとで、集中的な居住の行われる都市環境が、衛生上の問題を解決すること、安全性が確保されることが問題とされ、19世紀末には、都市の利便性の発揮と農村の自然環境の導入にによる快適性が取り上げられた。今日、衛生、安全、利便、快適の4条件は居住環境の評価基準となっている。こうした居住環境において人々の生活が営まれ、多数を占める勤労者の生活は居住生活と労働と余暇行動によって構成されている。そのため、住宅、近隣、商店、職場、自然環境の空間を必要としている。
 近代の都市環境は、経済活動の中心として、居住環境も需給の産業活動として成立し、それが都市を形成する主要因となった。空間の混在と過密による環境悪化に対処する改善の積み重ねとして、都市機能が整備されていった。
 しかし、社会構造の低層部分に環境悪化の影響は集中し、社会的政策や計画的な問題解決を必要としたといえる。社会構造を階級対立としてとらえ、資本主義の止揚として社会主義を目指す、マルクス主義の運動も展開した。また、人間的な生活を優先して、観念的なユートピア社会を目指す運動も展開した。経済と生活との対立的な状況を、克服するものとして、ハワードによって「田園都市」の構想が提示され、運動として広まった。
 田園都市は居住生活と経済(職場)を自己完結させる考えであったが、現実的には居住環境は広汎な経済活動に依拠する必要があった。郊外住宅地や住区単位に田園都市の考えが展開していった。広域的な経済と生活空間の連携をはかる必要が、環境問題、土地利用の混乱から必要とされるようになった。ドイツのルール地域で、地域計画とそのための広域連携組織SVRが生まれたということである。
 日本では、3全総の定住圏構想によって、広域生活圏の考えが示され、様々な意味でその地域計画が期待された。その主要な期待は、住民主体による計画とその仕組みの確立であったのではないだろうか。行政主導の計画は、潤沢な公共投資によって成立しえたが、経済の停滞とともに、赤字が累積していった時期でもある。公共事業の目的も経済基盤から生活基盤へと重点が替わり、住民の選択する生活基盤を見出すことも
必要であったのだろう。高度経済成長の結果によって地域間格差は拡大しており、停滞地域(中心市街と山村などの地域)における地域活性化の主体的努力も広まりつつあった。しかし、定住圏構想は生活空間主体で経済との連携は重視されていなかった。
 今日、広域生活圏は生活基盤整備から環境問題への対処が問題となり、環境への負荷の減少と環境保全が意識されてきている。また、自然エネルギーの利用は資源活用として産業、経済における効果が期待されてきている。