風景と風致 風景を追究する学生

 風景計画演習という講義を担当している。今年の演習が開始し、膨大な風景の論議や追及の概観をかいつまんで、風景について説明をした。途中で学生の方に眺めに対して風景を何と考えているかを書いてもらった。演習の受講者は何と28人もいたので、いろいろな考えが示されていた。全員、風景について関心が高いようで、自分の理解を深めることと実地にどうなのかを考えたいという熱意が感じられるものだった。意欲ある学生の期待に応えたい。私自身も風景について追究途中の学生であることを考えれば、追究の広がりの知見から、学生自身の追及の土台を示して、学生の補助となることができることである。
 学生は自分自身で風景をどのように意識してきたのか、それぞれの文章を表として整理してみた。風景は意識によって眺めから区別され、また、視点の状況によって構成される視界として区別され、対象によって区別されるという、3つの区別の仕方が示された。これらの区別の3点は、風景を成立させる要因であるが、意識を要因に挙げない学生が28人中3人、視点の状況を挙げなかった学生が4人、対象を挙げなかった学生は5人おり、3点すべてを挙げた学生は17人であった。見ることと「眺め」の説明の後、「風景とは」の設問を行ったので、文中この2語が出てくるのは当然であったが、この2語を文中に含めた学生は眺めが11人、風景が12人であり、重複して使う学生もあった。その他に、「景色」を使う学生は15人と多く、「光景」2人、「情景」3人であった。その他に、眺望、遠望、全望、景観、認識、感覚、ヴィジュアルを使う学生もいた。これらのことは、風景という言葉自身の定義があいまいなものであることが示されている。風景を通念と区別して、概念定義することが必要であろう。
 風景の意識は「美しい」「きれい」と感じる眺めが25人中7人であり、その他の内的な意識を喚起する眺め13人などである。その他、自然であることを感じる眺めなど、さらに、複雑な自己分析を行う人もいる。視点、視界の状況の点では、高い場所、障害物のない広々した眺め、目に入る全ての物とともに、ある場所、ある時間によって意識された眺めがあり、一方、生活の何気ない場面の眺めを上げる人もいる。眺めの対象としては、自然の要素を多く人が上げているが、人工の要素、生活の場面を上げる人もいる。日常に対して非日常の景観を取り上げている人もいる。
 一応、風景は眺めの中でも、意識的で存在であり、視覚的な構造があり、視野の対象が土地の広い範囲の状態にある。これらは、風景に関していくつかの特徴の内の3点であるというよりは、風景を成立させる3側面であり、相互に関連していると言ってもよいであろう。これからの演習によって、それぞれの側面の認識を深め、風景の意識を深めることを期待したい。さらに、個々の主観を脱して共通の要因によって支配される普遍的な風景意識を洞察できないだろうか。