風致と風景 風景の成長

 柳田國男の文章に「風景の成長」の題名で書かれたものがあった。風景が環境の眺めに対する美しさの選択であると考えれば、美しい眺めが成長すると言い換えることができる。柳田は農村の眺めの美しさ、すなわち、風景として見出せることの理由をを考察しようとした。そのきっかけは、車窓からの瞬間の眺めから、その理由を見出した。切り開かれた開拓地は森林を切り開いて、農業を営む最初の風景である。そこに切り残された1本の樹木があった。何故、切り残したのか、それは偶然だったかもしれないが、その後にもそのままにしておいた開拓者の意識を洞察している。開拓者はその木が外部への目印となり、緑陰となり、人々が話しをしたり、牛をつないだり、次第に無くてはならない環境として意識するようになったのではないかと推察した。開拓で切り開いた農地の一方で、残された自然との交流が生まれ、自然の恩恵のもとで、持続する農村環境が成立してくると、柳田は考えたのであろう。逆に自然との交流が無ければ、開拓地は自然から破壊的な影響に苦しめられたのであろう。
 農村風景はただ鑑賞される存在ではない。どちらかといえば、貧しく、厳しい生活によって生まれた環境である。自然との交流が、そこに調和の一端を感じさせたとしても、それは外観でしかないといえる。風景はそこで生活する人の環境であり、生活する人によって美、快さとして評価されているものということができる。こうしたことを柳田は言いたかったのであろう。生活する人にとっての風景であるから、残されるだけでなく、成長していくものといえたのであろう。
 自然風景、森林風景、農村風景、都市風景は、内在する環境と主体との交流から成長してくるといってよいであろうか。こうした交流の生まれない環境からは、風景を見出せない、自然地、森林、農村、都市もまたありえる。風景を見出せないので、印象付けられることのない環境もまた体験しているのであるが、無意識になっているからであろうか気づかない。しかし、良いものとして残された場所が破壊されて失われたとき、殺風景を感じるのである。