場所と場面の構造 地域開発

 地域開発はいまや死語に近い言葉となってしまったと思われる。地域開発に対抗して、公害問題が生まれ、自然保護運動が展開した。こうした混乱を計画的に解決しようとしたならば、地域計画が成立していたであろう。地域開発は産業を優先させ、自然環境を資源としてしか評価しなかった。電源資源、鉱物資源、森林資源、観光資源などであり、その資源の持続も考慮されることは少なかった。資源の枯渇は地域経済を破綻させ、地域の衰退を招くことも見られた。産業も経済流通に作用されて浮沈があり、地域開発の盛衰をもたらした。経済、産業、企業優先から住民主体、生活環境、環境保全へと、地域発展の目標が急展開していったのも、停滞した経済状況のためであったといえる。3全総の国土計画は、その転換点といえるが、生活環境優先は内需拡大の一環であり、経済優先の政策の転換といえなかったことは、リゾートブームにおける地域開発の再燃とバブル経済の崩壊が示している。
 地域開発は、資本投下によって巨大な施設地や開発地を生み出したが、これらは地域の経済基盤として蓄積されて、稼動しているのであろうか。長野県でかっての地域開発の跡を見てみると、ダム建設による電源、流域開発は、稼動しており、成果を上げたと評価できるが、土砂の堆積で機能低下や上流部の災害が問題となり、上流の治山砂防が不可欠となり、下流は土砂の供給が無くなり、河床や橋の土台の洗掘が問題となるという事態も生じている。硫黄鉱山などはほとんど廃棄され、跡地からの公害が生じたところもある。奥地の森林資源開発は主に国有林の問題でもあったが、資源循環的な林業の成立はなされずに、資源を枯渇させたといえる。観光地、リゾートの開発は定着した場所も見られるが、衰退した場所も見られ、衰退した場所では廃棄された施設が放置されている。実態調査が必要であるだろう。
 開発の基盤として交通施設の革新と整備も行われていった。特に高度経済期後半より、高速鉄道、高速道路の整備が開始され、自動車の普及とともに一般道路の整備も進展した。人々の行動圏は飛躍的に拡大した。特に観光開発、リゾート開発は、利用者の行動圏の拡大に即応して進展した。しかし、観光、リゾートの資源となる自然環境は、道路と施設建設の開発による破壊的な影響をこうむるとともに、利用の集中によっても破壊的な状況が生じたといえる。また、需要として利用者の増大は、所得増によるもので余暇の充足が十分に提供されているわけではなかった。そのため、一時的なブームに終わった。
 地域開発は開発資本を持たない地域住民によるものは少なく、外部資本による開発が多かったため、地域住民の利益は少なかったと考えられる。しかし、雇用機会や建設事業の増大、税収や地代などの利益を地域発展につながるものとして、外部資本を導入しようとする地域も多く見られた。導入された企業経営の低迷によって外部資本が撤退することになると、期待した利益はすべて得られなくなり、地域の停滞は一層、深刻になっただろう。