場所と場面の構造 田園環境

 農村は農業を営む村の意味を示しているが、田舎という言葉は、都市に対して使われ、田園もほとんど同義であろう。しかし、田園は田園都市と結びついて、広まった。確かに、ベートーベンの田園交響曲としても知られ、使われていることを考えれば、もっと普遍的な言葉でもあったのであろう。
 ハワードの明日の田園都市は、ガーデン・シティであったのに、庭園とはされずに田園としたのは、何故だったのだろう。田園は、西洋人の理想とする農村を表わす言葉として適合すると考えたのであろうか。国木田独歩の「武蔵野」は当時の東京郊外であるが、いかにも日本の田舎の風景であって、田園とは称しがたいところがある。日本には田舎の農村はあっても、田園は現実のものではなかったのではないだろうか。あるいは、現実の農村に理想を持ち得なかったのではないか。その点は田園都市の認識にもあったのであろう。田園都市は農村の理想的な環境を都市生活に実現しようとしたものであった点から、田園都市はいかにも適切な言葉であり、その建設によって田園が実体化したといえる。
 理想であった田園が、古く、中国とローマに生まれていたことは、興味深いことである。中国では、陶淵明の帰去来辞、白居易の想帰田園の漢詩が著名で、日本人にも親しまれてきた。また、ローマ詩人、ウェルギリウスの田園詩または牧歌詩は、長く、西洋人に影響を与えた。
 近代化の中で、人々は農村から都市へと流出していった。しかし、都市で生活することに疲れた人々は農村へと帰る人もあったであろう。貧しい農村と豊かな都市の格差、せせこましく、あわただしい都市生活と自然の空間と時間に合わせたのんびりとした田舎の対比は、近代の都市化を進行させ、補完していた関係であったかもしれない。そうした人口交流を安定した居住環境で、定着させたことが、田園都市、田園郊外を実体化できた原因なのであろう。
 しかし、都市郊外は無計画で散発的な都市開発によって、農村環境を破壊し、また、都市環境の成熟も見られず、混乱した地域となっていることが多い。都市の豊かさを享受する階層が、限られていることが、郊外への人口流出の原因にもなるであろう。交通の発達が、郊外と都心との交流を可能とし、自動車交通はさらに郊外を拡散させた。郊外の拡散は、農村環境を混住地域として無性格なものへと変貌させた。
 農村環境を保全し、住み心地のよい住宅を持ち、農村のゆとりと都市の豊かさを享受できる可能性は大きいと考えられるのだが、市街を逃避して郊外に居住する人々に、農村環境は失われ、理想的な田園生活を得る人は少ないようである。田舎暮らしは、都市の豊かさを離れて、農村生活に溶け込む必要がある。田園は今もなお、夢に留まるものなのであろうか。
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