場所と場面の構造 生活空間の概念

 個々人の様々な行動は、1日単位で生活に包括されている。そこで、個々の行動空間を包括して、生活空間が成立していると理解できる。生活空間の拠点として居住空間があり、居住を中心にした生活行動をもって生活空間を理解できる。生活空間の集合体が、地域の範囲をもった社会空間を形成する。いや、逆に、社会的な人間としては、社会空間の中で、生活空間を選択的に確保し、適応すると考えられる。社会空間は、構成する人々の生業によって、都市空間であったり、農村空間であったりする。こうした社会空間を「場所」という概念に置き換えて考えられている。場所の概念は、地域の概念とも重複している。社会に対して個人が対応し、社会空間対個人空間、個人空間は生活空間と合致し、社会空間は地域空間と合致する構造が考えられる。行動空間は生活空間に包含され、生活空間は地域空間に包含した空間の階層性が成立する。
 主体である個人の行動空間は主体と不可分である。生活空間が行動空間を包含して構成されている限り、やはり、主体と不可分である。個人と社会の関係は、民主主義を原則とすれば、社会の主体は個人である。個人間の合意としての社会空間が成立し、ここの生活空間は社会空間を構成する単位となりうる。しかし、原則は目に見えるようには作用していない。社会的存在としての個人は、社会を主体として、社会を担う従属的存在に適応している。共同体と個人との関係は、共同体の諸形態によって相違していることが論じられている。資本主義社会は、共同体社会から個人を主体として抽出し、自由として成立している。個人の自由な活動は、生産活動における資本の支配を成立させることになった。すなわち、資本主義経済を主体として、個人は企業を媒介とした従属的存在に適応している。資本主義の原則とすれば、社会空間と生活空間の関係は、対立的であり、社会空間を優位としている。
 住宅建築では、計画概念として生活空間が想定されている。しかし、それは、居住という範囲に限定された生活空間である。都市計画に生活空間を拡大した場合には、生活空間を構成単位とする共同体空間が想定されている。それが、近隣社会という共同体であるが、一種の理想によって考えられたものであろう。実際の近隣社会と近隣空間は、計画都市に構成された近隣住区とは全く相違している。