森林風致 森で遊ぶ

 今日、子供が森の中で遊んでいる姿を見かけた。ヒノキ林の過密な森で、暗く、林床も疎らで土が見えるような状態の中を、7,8歳であろうか、崖の上から、見下ろして、崖を滑りおりる機会を狙っていた。まるで、原始人のように土にまみれていた。よく見ると、滑る道筋が滑らかな地面となって光っており、いつも遊んでいることがわかる。彼らの縄張りなのだ。丁度、小学校に近接していて、子供達の秘密基地のような森なのであろうか。
 大人も森で遊ぶ。森の中につけられた通路を、ひたすら歩く人、健康のためなのであろうか、あるいは、楽しみなのであろうか。歩くための歩道がつけられた森、歩道は森を楽しむためにつけられたのに、歩くためにだけ利用されるのだろうか。歩道の幅が広くなるほど、また、舗装が行き届くほど、歩くことが強調されるようである。細い歩道は、周囲の草や潅木、枝が間近で、それらに注意して歩かないわけにはいかない。森に触れられずにはいられない。また、ゆっくり歩かないといけなくなる。歩くことを主にする人は、広い歩道を、森林に触れたい人は、狭い歩道を選択すればよいのかもしれない。
 森で遊んでもよいが、森を遊んではいけない。森は森でなくなってゆく。遊びが優先してくると、遊びの空間が固定され、森はその従属物になってしまう。森の変化は主役ではなくなり、単なる背景に後退する。人は一時的に森を遊び、森の魅力には触れることができない。