風致と風景 山岳インタープリテーション

 インタープリテーションに一昨年、上高地で参加して体験したことがある。自然解説とは異なり、利用者自身が自然に触れて啓発されることを、インタープリターが助けるために一緒に歩くものである。確かに、ただ、歩いている時よりは、認識が新たになったような気がした。自然の知識としてはあっても、自然に触れた時、とっさに蘇ることは少ないので、聞いてみてなるほどと感心するのである。一方、自然が何故そうなっているのか、疑問に思った時、疑問を解き明かす手順を示してもらうことで、疑問が解き明かされることができる。しかし、短時間で自然の体験から啓発されることは少なく、それに対してインタープリーターの持つ、体験と知識は豊富である。インタープリターは利用者への先生、しぜんの解説者でしかないのかもしれない。利用者の自己啓発を助ける補助者の部分は、押し付けでない解説者としての態度であるだけなのかもしれない。解説プログラムが周到に用意され、受け取った料金に見合って、利用者の満足が得られるように準備がなされている。インタープリターは、様々な利用者のレベルに即応できる知識と体験も豊富である。しかし、少人数とはいえ、個性の異なる参加者を集団として対応する必要がある。どうしても、自然解説者の比重が大きくなるのではないだろうか。
 インタープリターを成立させる側面は、自然体験啓発者であることが主要な属性であるが、自然解説者の属性を合わせてもっている。さらに、自然案内人としてのガイドの役割を持っているといえる。ガイドは体験の豊富さにより、自然解説は知識の豊富さによって成立するものといえる。この3つの属性は並列しているのではなく、積み重なって成立している。まず、基本は自然体験である点で、ガイドの役割を可能とする。その自然体験を知識によって解釈する点で、自然解説を可能とする。そこから、利用者の自然体験を啓発するコミュニケーションとして、インタープリテーションが成立すると考えられる。