森の内の構成

 総論となる森の内の構成を提示しないまま、日が過ぎて、各論となる日記は滞っている。果たして日記に総論が必要なのかの疑問もあるだろう。日々の散漫な印象と感想は何を意味するのか、個人の狭い世界の出来事であるとすれば、自分の備忘録であって、公開のブログとすることもないはずである。やはり、公開することの意味を示すために総論は必要であろう。森林風致計画研究所にリンクした日記として、研究所の理念を提示していく、会員への責任もある。しかし、あくまで日記なので、日々の印象の自由な感想なのである。こうした総論を示せるのかが、問題となる。
 そこで、何を目指して日々の生活を送るかが、総論の課題となる。社会の一員であることの自覚として、社会に主体的に参加し、貢献することが、誰にとっても生活の課題であり、社会的貢献は労働に従事しているということである。労働の結果、生活と社会が生成して、持続していると考えられる。
 個人の生存は、自然的な生命の持続であるが、社会的な生活によって維持されている。資本主義経済における個人の自由と資本の利潤追求を目指す企業間の競争は、それ自体が個人と社会の目的ではなく、社会的生活の持続が基本的な問題であろう。資本主義を補う制度として、社会福祉制度が成立しているが、国家財政の不均衡がこの制度を危うくしている。国家財政の不均衡は資本主義経済から生じてきた。
 社会福祉制度の恩恵を受ける立場であるからこそ、社会的危機の打開から社会発展への貢献が出来ないかが、一層、意識される。自然的な生存にとって、物理的な環境条件が要求されるが、資本主義経済による社会的な環境問題が生じている。生活と環境との関係は相互関係にあるので、環境悪化として問題とされていることは、生活を阻害し、生活向上を停滞させていることである。環境問題の基本となる「生活と環境の関係」をこの日記の中心課題としとする。