1-1 風景と景観

風景における場所と景観の結合
 風景を場所からの環境の知覚と理解することができるが、風土を成立させる自然的な要因が、視野の構成要素となって知覚体験されている。土地の広がりと天空が大気を媒介として体感と視覚を結合している。一方、風景を体験しているのは個々人の意識であり、行動するために場所の環境を認知する。認知には過去の経験が役立ち、環境イメージが意識される。環境イメージの中心に自己を置いており、それは行動に直面した主体である。環境イメージは経験だけでなく、様々な情報、知識、地図が役立てられ、それらが連結して、環境イメージが形成される。環境イメージをもとに、行動の判断が下される。主体と環境は行動によって交流し、自己を中心とした場所の環境イメージを形成する知識や地図は、景観に結びつく。自己意識を中心とした過去の経験は深層心理となって奥野の言っている「原風景」となるような環境イメージを形成するといえる。

情景と風景の関係
 主体の行動が、意識における内的な欲求、情動と結びついている点では、環境の知覚に主観の作用する「情景」が認知される。一方、行動が客観的に環境を認識する必要から、「景観」を意識し、景観を反映した知覚として「風景」が意識される。伊藤太一氏が情景が社会的、風致を自然的で、情景と風致を統合したところに、「風景」が「景観」に直面して形成されるものとしたことは、根拠がないとはいえないだろう。

風致と風景の関係
 情景と対置され、自然的な要因による「風致」とは何をさすのだろうか。これは「風致」が自然的要因である「場所」に結びついているとして、説明したい。主体の存在は場所における環境とともにあり、その自己に近接した場所の環境を「風致」として知覚すると考えてみると、遠くの「風景」を主体の場所に引き寄せる「風致」が見出される。