2-5 森林の恩恵と機能

 元来、森林は自然的に成立し、また、破壊されても回復するものである。人類の進化、幾多の文明の成立はこの森林から恩恵を受け、また、森林を破壊し尽くして消滅していった文明もある。
 現代文明のもとで日本の森林の現状は何を問題としているのであろう。2008年の森林・林業白書(突然、卑近な現実であるが)から、最初の頁に「森林の持つ多面的機能」が掲げられている。そこには①生物多様性機能、②地球環境保全機能、③土砂災害防止/土壌保全機能、④水源涵養機能、⑤快適環境形成機能、⑥保健・レクリエーション機能、⑦文化機能、⑧物質生産機能の図か掲げられている。平成13年に日本学術会議答申によるものである。ここから、こうした森林機能を必要とする現代文明の危機が読み取れる。
 1983年に著された筒井迪夫監修「現代林業入門」では森林の働きは概略して3つを上げている。すなわち、①木材をはじめ多くの林産物を生産する働き、②水を貯え、緑を保持して生活や産業を守り、人間の心身の健康を維持していく働き、③洪水を防ぎ、土砂の崩壊や流出をとめて国土を荒廃から護り、社会や人間の生命の安全を保障する働きとしている。1983年の認識から2008年の認識へとどのように変換したかをみることができるだろう。
 3つに集約された森林の働きは8つの多面的機能へと分散している。機能の順位が利用から環境へと逆転している。こんなことは誰でも分かっていることであろうが、何故このような変換が生じたのかが問題である。国土的に見て、森林の状態も25年間で変化しているだろうが、この機能の認識の転換に比べれば取るに足らない程度であろう。この転換は、森林の変化によるものではなく、人の認識の変化によるものということができる。いうならば、認識する立場の変換ということであろう。森林を国土資源としてみるか、人類、国民の生存・生活環境として見るかであろう。
 森林に対する立場の変換は、時代的変化として以下のように考えればよいのであろうか。森林は自然的環境として存在し、その一部を資源的に利用するようになった。過度の資源利用は森林破壊を増大させ、森林破壊は生活環境の危機を招いている。
 しかし、日本だけでいえば、森林破壊が25年間で深刻になっているとはいえない。確かに、林業労働力の減少で林業のための育林は停滞しているが、森林の成長による森林蓄積は全般には増大しているのではないか。自然保護が開発に対して優位になり、自然環境保全への認知も高まっている。森林は危機的状態ではなく、好転していると考えられる。地球環境の危機が問題となっていることは確かであるが、それを日本の森林でどのように受け止められるかが問題であるのだろう。とすれば、2008年の白書の転換は行き過ぎであると考えられる。
 森林は自然的環境として存在し、その一部を資源的に利用するようになった時点に立ち返り、過度の森林破壊に至らぬ様に規制することが必要であり、自然を利用によって育成するような合自然的林業のあり方が今こそ求められているといえる。機能を森林に要求するのではなく、森林の恩恵として自然に満たされるものとなることが必要ではないだろうか。