2-5 1-1 森林美学から森林風致論へ

森林美と森林風致の相違
 絵画的な森林美に対して、森林風致は行動に伴う森林環境の五感による体験である。森林風致における印象的場面は、森林美として意識される。それ故、森林美は意識であり、森林風致は体験であるということが出来る。
林学における森林美学の展開
 ドイツ林学が成立した近代初期は、ロマン主義思潮の時代であり、森林に絵画的美の印象が強調されて意識され、森林美学の成立を見たのであろう。しかし、メーラーの時代には、自然的に取扱われた森林環境は風致体験をもたらし、そこに、森林美を見出してフォン・ザリッシュの森林美学の主張に一致したのであろう。 森林美学は、森林風致論へと移行する必然性があり、森林の自然的な取扱いがその必然性を現実化したといえる。
日本における森林風致の成立
 田村は自然休養の社会的要求を鑑みて、森林風致の実現が必要と考え、風致林のイメージを創生したと考えられる。それは、様々な森林景観型として提示され、森林風致は多様な体験であることを示した。森林景観型は、森林の地理的分布、森林施業型と一致しており、科学的論拠に立っている。
森林風景から森林風致への展開
 風景の知覚対象として景観を位置づければ、森林景観型は、風景にどのように作用するのであろうか。風景知覚の場所的条件から風致が体験され、場所を通して風景に対置すると考えれば、風致体験のもとに風景が知覚されることになる。
 中村の仮説では、風致体験の一部に美的体験が生じるとしており、風景を美と言い換えれば、中村の仮説も実際の体験と合致している。塩田は場所に制約された視覚と制約されない視覚を囲繞景観と眺望景観に区分している。しかし、この区分の境界をどこにおくかはあいまいである。中村はホールを論拠として近景に対する遠景をミクロからマクロの知覚への連続として理解している。遠景になるほど、事物は風景要素として抽象化されるというのである。至近景と風景美を意識する中景を設定することによって、風致と風景の知覚を位置づけたといえる。
 林内は囲繞景観であり、至近景の知覚による風致を生じる場である。林内環境は森林風致を体験する場所ということができる。林内環境条件が森林風致の体験といかなる関係があるかが、今日、課題となり、清水は快適性として明らかにしている。
展望
 森林風致という言葉は、日本独自であり、英訳も見当たらない。しかし、欧米人が林内で体験する感覚が存在していることも確かである。それを何と表現されているかは、まだ、わからない。風景もscenaryやlandscapeが訳語に該当するが、厳密には日本独自の言葉であるのだろう。戦後の森林風致の展開は、風景と風致の関係が明らかにされてきている。森林風致から森林美の関係が明らかになることによって、森林美学への回帰が完成するのであろう。森林風致は実際的な風致施業と結合して森林技術者の森林育成として展開することが考えられる。