長野県の「観光と森林」

きっかけ
 「観光と森林」という題名の本が出版されたのが、昭和39年である。その頃、観光利用の増大とともに、観光開発が進められようとしていた。東京オリンピックの開催、新幹線の開通などに示される、都市問題、交通機関の革新の開幕の時期であった。高度経済成長政策の成果が見え始め、所得向上とともに広域レクリエーションとしての観光利用が増大し、一方で大都市と地方の地域格差が増大して、地方は地域開発の一つとして観光に期待するようになってきていた。
 長野県ではスキー客や登山客などの増大でスキー場開発などとともに民宿などの開業が増大していた。そこに、外部資本として観光企業が参入して、大規模な資本投下を行っていった。林地は観光開発の対象となる土地として意識され、森林育成を考える所は少なかったと思われる。観光開発と観光利用増大は、その後、林地開発と森林育成の動向とともに時代的に大きく変遷してきた。森林行政の現状における観光と森林との関係を考える機会があった。

観光利用の基盤としての地域環境
 観光利用が頭打ちとなり、経済の低迷とともに、消費的な観光利用の減退は顕著となり、ホテル、ゴルフ場、スキー場などの廃業も拡大している。観光産業は撤退する所も多く、地域産業としての持続が困難となっている。一方、高齢者、家族の余暇、健康、体験などのための戸外レクリエーション、自然休養が定着してきた。エコーツーリズムといった環境保全型の観光利用を推進する地域も見られる。
 今後の観光は地域環境を基盤として成立する可能性がある。逆に地域環境に魅力のない地域は、観光客は一層、減少していくことが考えられる。地域環境は住民の生活や土地利用、産業動向の結果であり、外部からくる観光客はその環境を利用するだけである。軽井沢などの保養地は、利用目的によって地域が形成されている得意な場所であるが、優れた自然環境が保持された地域には、観光利用が定着するだろう。その自然環境が保持されるかは、地域環境の問題である。

地域環境の変化による観光利用の阻害
 軽井沢は浅間山山麓高原地域といってよいが、カラマツ林が地域の特徴となっていることは多くの人が認めるであろう。信州の観光地で高原イメージは各所で見られる。高原は草刈場、放牧地の草原に結合している。畜産の衰退、厩堆肥などの利用の消滅は、こうした草原景観を森林化に導いていった。花の咲き乱れる草原は、観光利用でのみ求められ、かつ、景観の持続は困難であった。荒廃地に雑草が侵入し、草地が衰退して、樹林化が進んでいくが、貧困化した土壌は、被覆を停滞させ、侵食を拡大する場合も生じている。観光資源としての景観が失われた場所で、観光客が訪れることは考え難い。
 こうした高原に風力発電のための企業の進出が問題となっており、眺望景観まで阻害すれば、観光利用の減少に拍車がかかることは眼に見えているであろう。

森林育成における観光への配慮
 鍋倉におけるブナ林は、自然保護運動によって護られたが、現在、飯山市のスキー民宿などの利用減少から森林における自然休養の場所に活用されている。高原の草原から森林遷移としてシラカバ林などが成立するが、シラカバ林が魅力となっている地域もあるようである。また、木曽では赤沢自然休養林が設定され、ヒノキ高齢林が自然休養の対象となっている。
 一方、地域住民の休養地には、アカマツ林を背景としている場合が多い。山麓に近い、河川の岸辺、渓谷の崖には、美しい松林が成立したからであろう。また、山頂部の乾燥した土壌や、草木の採取で荒廃した土壌にアカマツ林が成育し、残され、地域の名所として親しまれた。薪炭林・広葉樹林は、地域住民にとって必要を通じて、山菜、栗の実、草花、昆虫や動物の生息などに親しまれた。しかし、こうした山林が観光利用とはなり難かった。特別の景観ではなかったために、観光資源ではなかったのであろう。高山渓谷は広葉樹林の生育によって紅葉が楽しまれるようになったわずかな例かもしれない。