風致間伐のデザイン効果

はじめに
 間伐における選木作業は、作業者の裁量によるところがほとんどである。その結果、作業者個人個人で選定が異なってくる。もちろん、間伐は収穫が主目的ではなく、森林生育が主目的としてであるが。その場合、選定されて残った高木が、一定の目標期間における森林構成の主役となって森林成長を条件付けることを予想しているといえる。しかし、現場作業で前もって選定しないで、現場の見計らいで間伐が実行される場合も多いのではないかと考ええられ、その場合は、密度、伐採木の基準などによって伐採が実行されるのであろう。こうした、間伐木の選定結果によって林分構造は、変化し、その変化によって、森林の成長が異なり、時間がたつにつれて林相を相違させる。しかし、また、間伐効果が林冠閉鎖によって減退してくると、この相違も消失していくと考えられる。
 以上の点から、間伐の要点と間伐効果の関係を設定して、間伐の技術指針を見出す必要がある。まず、間伐密度が上げられるが、それは、林冠の閉鎖時期と関係している。また、間伐を何度か繰り返して、最終の収穫時期と関係する。しかし、林木は間伐前の状態が、林木間の競争によって成長の差が生じており、成長差は樹高と樹冠による樹形になって表れてきている。優勢な木と劣勢の木の相違となる。上記は、間伐技術でいえば、密度管理として行われる量的間伐と、樹形評価による質的間伐が該当する。しかし、こうした間伐自体は林木の単木としての成長を目標とするものであろう。
 これに対して、樹群として林冠閉鎖の緩和を進めることが、画伐の施業技術として存在する。天然林におけるパッチとギャップの関係と似通って点があるように見えるのだが、施業と生態学の専門の相違がある。この相違を結びつけたものが、「林分施業法」なのであろうか。検討する必要がある。松川氏は戦前に「林冠群」を天然林の中に見出し、林冠群の型における系列的な関係を見出し、施業に結びつけようとしているが、これが林分施業法のもとになっているのであろうかも、考証の必要がある。
 間伐は人工林の育成で行われる作業で、前述から単木的に伐採木を選定し、引き算的に森林を形成させることが考えられている。画伐作業は更新のための面的伐採である点で異質なものとといえる。しかし、間伐時期を過ぎた人工林の強度間伐の方法として、面的な伐採が行われるようになった。画伐と強度間伐とはどのような差があるのであろうか。いずれにしても、風致間伐にとっては、単木的間伐と面的間伐によって、残る林木の樹形、樹群、更新の林床を考えた間伐方法が可能となるといえる。それは、作業者の裁量によるものとなれば、施業技術の問題を、風致デザインの問題に転換できるといえる。

間伐作業における風致効果
 単木的選木による間伐は、質的間伐として寺崎式間伐などがあり、結果として作業者の感覚による森林風致を実現したと考えられる。フォン・ザリッシュの提唱したポステル式間伐は、単木的選木による間伐に美的配慮を付加したものと考えられる。浅間山麓に寺崎さん自身の行った間伐のカラマツ林が残されているが、50年を経過した今日にも、森林風致の実現を見出すことが出来る。ただし、間伐効果が適合しすぎたせいか、森林密度は50年前からの状態が維持され、過密な感じが否めない。量的間伐では、密度調節のみを考えれば、等間隔に林木が配置されることが目指されるが、この結果、間伐を繰り返し行って、密度調節を行う必要があり、これが滞って、放置林が過密林分となる。こうした、植林時の等間隔を維持しつづけることは、風致の点からは、人工的で整然とした美がもたらされるものといえる。しかし、自然的な変化には、欠除しており、放置されて、過密な林分になると、森林生態系の自然な移行が滞っていることが、雑然あるいは、林床植生が消滅して殺風景な状態で、森林風致の実現が損なわれている。
 単木的選木における作業では、健全木を残してその生育をはかるという観点から、自由な裁量によっても、等間隔の選木結果をもたらすことが、多いことが予想できる。これも、森林の成長の段階をどこに予想するかによって異なっていると考えられる。

風致間伐のデザイン効果