森林風景計画学

 塩田先生編集の「森林風景計画学」が出版された。35年前に発足した東京大学の「森林風致計画学講座」35周年を記念する意味があるとしている。著者に加わった人は、塩田先生の門下で、大学の研究室を担ってきた教員の方々である。私は、35年前の発足の記念事業に参列させていただいたことがあり、田村先生の御講演を拝聴した。田村先生からの長い伝統が、はじめて講座の形態で、公式に専門分野として認められ、田村先生が感激で涙されていたことを思い出す。
 塩田先生は、森林風景計画学の著書において、講座名称の森林風致計画学は間違ってつけられたものであり、田村先生の「森林風景計画」の著書から「森林風景計画学」とつけられるべきであったと述べている。しかし、田村先生自身、森林風景計画の著書から、国立公園制度の発足と展開に関わって、以後の大きな進展があったと考えられる。この進展を、清水が明らかにし、森林風致を意義づけている。戦後の厳しい社会情勢においても、森林風致の展開を田村先生は、国立公園の景観保護と利用における風致の問題として意識されていただろうと考えられる。
 塩田先生は田村先生の後継者であったが、戦後の観光利用の進展に即応して、景観計画に取り組み、風景を視覚的な問題として、範囲を広げた独自の「森林風景計画」を展開したことは、多くの人が認めることであろう。そこに、田村先生の「森林風景計画」の以後の流れとは異なる、塩田先生の「森林風景計画学」が成立していると考えられる。しかし、それは、森林の域を超えた「風景計画学」の課題だったのではないだろうか。田村先生の流れから見れば、「森林風致計画学」は最適な言葉であり、風致林、風致施業を包含した、学を成立させる上で不可欠な分野と考える。また、林学にとって普遍的な分野として「森林美学」を構想したフォン・ザリッシュを継承していくものでもあろう。私は「森林風致計画学」の名称の本の編者であったこともあって、その分野が「森林風景計画」に替ることは考えられない。
 景観が土地利用の結果として表れ、風景は人が環境に接して知覚されるものであるが、あくまで、土地に表れた現象、環境の知覚に現れた現象である。その現象がどのような要因によって現れたかの分析を深めることなしに、計画することはできない。また、計画自身も社会的現象であり、計画技術は一見、普遍的な知識に見えるけれども、それを社会的に位置づけることなしに成立することはできないのではないだろうか。
 森林景観と森林風景は土地利用の要因であり、また、知覚された視野の構成要素である。風景計画と結合することによって森林風景計画が展開しているのであろう。