森林美学

 森林美学は、フォン・ザリッシュの「フォルスト・エステティック」から 新島・村山の「森林美学」へと日本に移植され、今田による森林美学の基本問題の歴史的追及がなされた。田村は、森林美学の林学への位置づけを志したが、アメリカの国立公園制度を日本に移植することと併せて、「森林風景計画」を著し、実践的な森林美学の展開として森林風景と森林風致を森林に見出した。(清水論文参照)
 アメリカの国立公園の発足は、開拓時代の終焉とともに、国土保全への転換があり、同時にアメリカ人のアイデンティティとして開拓精神から原始的自然の尊重への転換があったことに関係していたことが指摘されている。近代造園学の父とも言われているオルムステッドは、工業化し、人口増大が進む都市環境に、開拓の独立心とつながる民主主義の停滞を嘆き、英国の風景式庭園から都市公園の計画技術として風景建築術となる造園技術を生み出した。それは、庭園から公衆の集まる野原と自然が感じられる湖水と森林によって構成された風景であった。オルムステッドは、国立公園の管理に関わることがあり、また、植物園の計画から森林管理のための林業技術をドイツから導入する契機を生み出している。造園と森林、自然保護の要の位置に立っていたといえるかもしれない。(伊藤太一論文参照)
 しかし、アメリカにおける国立公園の自然保護は、ダム、森林開発などの産業開発と対立することとなった。アメリカの国有林制度は国土保全に由来しているが、国立公園制度からは遅れて設定されている。国有林における森林管理は当初、ドイツの林学から学ばれたことを伊藤太一論文は明らかにしている。その際に、森林美学がどのように評価されていたかに、興味がわくが、森林風景の美的な配慮が今日に持続していることは明らかである。