日本の里百選 松之山松代 2

松之山の景観
 外来者にとって、地域へのなじみがなく、ただ、目に映るものだけしか存在しないように見える。また、きた時の季節や、天候によって印象が左右されている。地表面の状態が景観とすれば、外来者の目に映る景観は、地域のごく一部であり、天候などに印象も左右されてくる。松之山は何度か行っても、通っている道が複雑で、自分の今いる位置も分からなくなってしまう。こうした時、この別世界の山里の景色が存在感を増してくる。
 人々の姿が目に入り、落ち着いた生活に、都会に暮らす自分が失ったものを感じる。それは、自然の中に安住して、孤立の中に、人々が協力している、共同体の故郷といえるのだろうか。見知らぬ住民に親しみを感じ、山間の耕された農地に住民の長い営為の貴重さを感じる。地域のいたるところに、意味深い魅力をもった景観がちりばめられており、季節や日照の変化に、一瞬一瞬が輝いて見える。
 謎めいた道は、人家と農地を、集落と集落をつないで、谷から尾根へ、山腹に沿って、山塊をつないでいる。高みからの見晴らしは、霧を吹き払ったように、地域の全景を示してくれる。しかし、なお、大きな疑問が湧く。何故、人々はこのような山奥に暮らしの場を求めたのであろうか。険しい山地、冬の豪雪の厳しさは、松之山の景観を特徴付ける要因だろう。そして、なお、安住の地となる魅力を持って、外来者をひきつけるのであろう。
 山村の景観に目が慣れてくると、集落の中心にコンビニや新建材の家が見られ、道路は拡幅され、アスファルトで舗装され、農地は拡大して、整形化している姿が見られ、都市化されている様子が目に入ってくる。古い山村の景観は、現代的な都市化によって衰退しているようである。草生す農地、打ち捨てられた家屋、廃屋となった学校は、住民が離村していった結果を示している。今、都市化に抗することができずに、山村からの人口の撤退がなされていく様子に、一層、住民の先祖が、何故、この地に住み着いたのか謎が大きくなる。

山地の景観
 住民が生活の糧とする山地をどのように、手に入れたのであろうか。山地を切り開いて作られた水田や畑は、連結して、山地の一角を占める要素となっている。斜面の凹部が水田、凸が畑や草地となっている。凹部の水田は遡って連続し、沢の源流に達する。水田を下れば、谷に行き着く。水田は谷を遡る沢がもとになっている。階段状に土手を作って連続する水田は谷田であり、斜面に、その田を広げた所に棚田が作られたのだろう。谷に土手を作ればため池ができる。ため池とせずに、土を盛れば水田とできる。その土は谷の両側の山地の斜面を削り落としたのであろう。それによって、水田を広げることもできたであろう。谷田を囲む斜面は、急傾斜となっているが、これは谷田を広げた結果と考えられる。その斜面は草地となって、水田に刈り敷きとなって利用されてきたのであろう。
 谷田の源流部はブナ林があり、水源林の役割を果たしている。ブナ林は尾根にまで続いて山地上部を覆う森林となっている。ブナは、薪炭林として利用され、冬の仕事の場とされたのであろう。


景観における豪雪
 谷田源流部のブナ林は、春の融雪を遅らせることによって、水源の役割を果たしているということである。また、雪は、木材の運搬に都合が良い。豪雪は森林による水源涵養と木材の搬出に役立てられる。
 水田の畦に立てられた杉の並木は、秋のハサ木として使われる。同時に、木材にも役立てられたのであろう。雪の中でこの杉の並木は水田の位置、道路の境を示す目印の役にも立っているのではないだろうか。
 二階にまで積雪が及ぶという松之山の家屋は、高く、屋根は雪を滑りやすくしている。しかし、古い家屋は藁葺き屋根であったという。家屋を護るための雪下ろしは大変な労力であったであろう。
 5ヶ月に及ぶ積雪は、農作業を困難にしている。山村の人は、屋根づくりや庭木手入れなどの特技を持って、平野の村々に出かけていくことがあったという話がある。松之山にもそのような出稼ぎの職人がいたのであろうか。一方、豪雪によって交通が困難となって、外部に出かけられなくなることもあったであろう。閉ざされた雪の中で人々はどのように生活したのであろうか。