日本の里百選 松之山松代 3

はじめに
 松之山は山地で豪雪の地ですが、その厳しい自然条件の中で、古くより住民の生活が営まれてきています。その人々の生活の基盤は、その厳しい自然条件に適合したものであることに、住民の英知が感じられます。その風景は限りなく美しく、自然の山と谷の地形、そこに広がるブナ林と棚田、散在する集落によって構成された景観は、季節や気象、昼夜の光線によって千変万下の変化を作り出しています。
 ここに佐藤一善さんの「松之山 吾が故郷」の写真集がある。松之山の景観に写真家の視点を作り出して、住民の目にする風景を鮮明なものとしています。長年の暮らしの中で、佐藤さんにとって春の朝日の逆光の中で朝霧に浮かび上がるスギ林の風景は、神々しい光そのものであり、「人々も木々も体一杯に、その歓びを分かちあっている」と記しています。季節の変化の中で、棚田とブナ林の姿があり、人々への自然の恵みがその写真集から感じられます。
 しかし、実際に松之山に行ってみると、たまさかの外来者には写真集ような美しい風景を見出すことができません。美しい風景を求めてきた多くの外来客が同じように、戸惑うということです。以前に学生と私は、佐藤さんから棚田とブナ林の良い場所を案内してもらったことがあります。その時、棚田を上から見下ろす良い場所は、松之山で生活する人にし分からないだろうと思いました。水田の四季の変化と朝夕の光線の角度、空気の混濁にまで気を配る写真は、佐藤さんにしか得られないものと思います。また、ブナ林は地域の各所に様々な姿で散在し、その林の中に入っていかなければ見ることが出来ません。しかし、そうして、きらめく様に美しい松之山の棚田とブナ林が現実のものと理解されました。
 

棚田風景
 松之山の風景の基調は、住民の生活の基盤が水田である限り、棚田であると言っても過言ではありません。棚田は沢の水系に従って、谷の下から尾根に向かって伸びていき、斜面の等高線に沿って水平に広がっています。その棚田の構成は、細長い水平に広がる区画に細分され、その区画は水田の部分と土手の草地斜面の部分から構成されています。各所の沢の水量が棚田の区画の数と面積の範囲を決定づけていると見られ、水田以外に斜面は樹林となっています。以前はその樹林の部分が草地となっており、土手の斜面の草地と連続していたのでしょう。水田は日照の少ない、北斜面には成立できないので、北斜面は一面の樹林となっています。
 佐藤さんの写真集では、春の棚田は水が張られ、空やスギの木立が水面に映り、その小さな区画を縁取る畦の草地が緑で生き生きとしてきます。やがて、稲を植える人々の姿が見られ、水田の水面も稲の湿原の緑に換わります。土手の草刈がなされると、棚田の階段をつくる斜面の等高線が目立ちます。この土手の斜面は、ウドやフキなどが取れて、人々の生活の糧となります。やがて、稲穂が黄色に色づいて土手の緑に対比されると、土手の草地は黄色の面を区切る網の目となります。人々が姿を現して稲刈りが行われ、水田には稲の切り株が模様を作る湿田が姿を現します。松之山は年中、水田に水を張ることによって、水漏れを防いでいるそうです。その水面に秋のの木立、空の変化が映し出されます。やがて、雪に閉ざされて、どことも境目はなくなり、白一色に覆われる中で、スギの並木が黒々とと水田を区切る垣となって、遠近を生み出しています。
 山地の上段に近年にダムが作られ、ブナ林に囲まれた小さな湖水が作られています。この湖水によって棚田への用水が確保されたということです。また、棚田の圃場整備で、拡張した区画も見られます。こうした事業が水田の維持に役立ったのでしょうが、各所に雑草の繁る場所が見かけられます。

ブナ林
 ブナ林を佐藤さんに見せていただいたが、地域に散在しており、小規模な林地が多く、大きな面積のブナ林は限られていました。ブナ林は切り株から更新しているところを見かけたところから、炭焼き、マキなどを採取して、萌芽更新のブナ林と考えられました。炭焼きも行われていたそうですが、衰退し、放置されて大木に成長したブナ林を見かけました。しかし、同齢の森林の放置は過密をもたらしており、林床の植生は貧困となっていることが多く見られました。林内は歩きやすく、一斉林の単純な林相に、すらりとした幹が重なり合って奥行きを生み出して絵画的な美を感じさせます。しかし、この暗い林内に入る人は、まれなようです。佐藤さんは地域の各所のブナ林をそれぞれの所有者以上に知り尽くしているようで、ブナ林の写真のビューポイントとその季節、時刻を知り尽くしていて教えていただきました。以前役立っていたブナ林は、役立たなくなってその美しさだけが評価されているのは、寂しいことですが、美しさだけでも評価されているのはいつか役立つという救いを感じさせます。
 佐藤さんがブナ林に写真をもって向かい合うのは、かって役立ったブナ林が、大きくなって美しさだけを際立たせながらあることに、深い哀惜を持っているように思いました。松之山のブナ林の中でも、美人林には大勢の人が集まります。有益性が捨象されて、純粋に美だけのブナ林は、不思議な魅力があります。樹冠を透かす木漏れ日は、滑らかな林床に陰影と木漏れ日の模様を透過させ、風と共に影と光が戯れています。

キョロロ館
 不思議な錆びた鉄の塔、その塔の上の窓から、松之山の一角が見下ろされます。塔の下に水琴窟があって滴りの音が反響して、周囲から切り離された別世界を表現しています。1階は博物館となっていて、自然を楽しむ人の拠点とされています。キョロロは蛙の鳴き声からつけられたのだと聞いたことがあります。しかし、そうしたことと別にこの不思議な建物は何故つくられたのでしょうか。住民は松之山の自然環境は日常的で、小さな頃から親しんでいるでしょう。それを、日常を離れて見ると、どのように見えるのか。非日常へ転換する装置としてキョロロ館は適しています。住民には、外側からの自然の観察へ、外来者には住民の自然に対する親しみへ、一挙の転換させる装置なのでしょうか。