ピクチュアレスク

はじめに
 ギルピンとブラウンによるピクチュアレスクとビュティフルの論争は良く知られている。今回、フォン・ザリッシュがギルピンの著書から影響を受けた点で、森林の美にピクチュアレスクの考えがどのように作用しているのかに関心がある。ピクチュアレスクはまた、サブライムとビュティフルとの論議にも関係している。サブライムを論じたバークからギルピンが影響を受けており、サブライムはピクチュアレスクへの接点がある。バークのサブライムは、カントの美学によってさらに取り上げられたと言われる。

ギルピン(1724-1804)
 中島敏郎:「イギリス的風景」にはギルピンとピクチュアレスクが取り上げられている。この本によれば、1746年牧師補佐となって赴任した地域にあった、風景式庭園・ストウ庭園に訪れ、最初の著作がなされたという。さらに、旅行記において知覚される風景の記述がなされるようになった。これは、風景式庭園が風景画をモデルとして作られ、風景式庭園から、風景の知覚が広められたという展開である。絵画と風景が庭園を媒介として結合して、ピクチュアレスクの概念が生じたといえるが、ギルピンのピクチュアレスクはサブライムの美を志向するものとしている。対比、対照を重んじたとされ、動的、劇的な風景を対象としたのであろうか。岩と草木、山と森、森と川、自然と人間、遠近が対比によって統一され、ピクチュアレスクの効果が上げられたとされる。美意識の対象は「自然こそ探究する場、自然の中のすべてがその対象となる。」
 私がギルピンの名前を見たのは、1961年に出版された「造園技術」の主な造園参考書であった。Remarks on Forest Scenery and other Woodland View 1791 が上げられており、一度、見たいと思ったが、未だに見ていない。フォン・ザリッシュが目にしたものも、同じであったのであろうか。ドイツ語に翻訳されたものを読んだと思われるので、それは何であったのであろうか。それにしても、フォン・ザリッシュの森林美学が1885年に第一版が出されているので、百年足らずにまで影響を及ぼし、さらに、日本にまで200年足らずの後に影響を及ぼしたといえる。