庭の設計

はじめに
 ごく若い頃、人様の庭を設計したことがある。これまでに、数えて3回だけであり、実際に実現性は定かでないので卓上プランだけだったといえる。材料や施工の面の検討は実施の経験もなく、本の知識を借りるだけのものだった。設計といっても、施主の意向に沿うだけのもので、あるいは、意向を引き出すだけで、独創性も定かではない点、設計とも言えないかもしれない。とすれば、庭の設計とは何なのかと考えるのである。自己満足を押し付けるものではないのに、設計家に庭の動向を委ねられるという特権を手にするのである。そんな権限がどこにあるというのだろう。施主と設計者との立場の差は、設計者に技術か芸術的か、それらの経験的蓄積によるのであろう。庭のデザイナーは経験によって技術と芸術的センスが磨かれ、様々な施主の要求に応える専門家となっていくのであろう。

メタセコイアの研究者の庭
 大学院の学生だった時に院生で練習のための設計であった。注文主からの謝礼もない点で自由に考えられた。大学教員でメタセコイアの研究者であるということを聞いていて、施主の住宅にうかがった。住宅地の中で庭も周囲の住宅と同じで、希望は庭にメタセコイアを植えること、竹の園芸種を生かすことであった。限られた敷地に大木となるメタセコイアは将来難しい問題となることを話したが、たっての希望なので、受け入れざるを得なかった。
 施主の希望を実現するのが設計者の役割であることは確かであるが、叶えられない希望は条件の中で形を変えて実現しなくてはならない。庭は個人の敷地にあり、住民の生活の外化として環境を再構築する作業であり、その結果できた空間である。

京都府立大学演習林の前庭
 演習林の助手であった時に、京都府立大学演習林の教員から、新築された演習林施設の前庭の設計を考えるように頼まれた。演習林というフィールドを顕在化するような庭が造れないかと考えた。庭らしくない森のイメージを彷彿とさせる空間を作れないか。施主に演習林から移植できる樹木を聞いた。できれば、京都の町中の構内に森を持ってこれないか。近くに京都府立植物園があるが、植物の収集展示をメインとして森は片隅に追いやられていた。その後、改修されて一新して森林環境が尊重され、植物展示とのバランスが取られるようになったのだが、森のイメージを喚起することは当時あまり考えられていなかった。庭は自然に従い、その庭から自然への触れ合いができる。演習林の施設として森のイメージが重要である。庭の自然への順化が課題であった。
 友人の吉田君は京都府林業関係の団体から、京都駅前の坪庭の設計を頼まれた。京都タワーを背景とした沈床した敷地の北側の小さなスペースであった。吉田君は北山の登山クラブで山に親しんでおり、注文主の林業団体と相談して、市街を越えて、京都の背景となる北山のイメージを京都駅前の進出させようとの同意を得た。北山の自然は駅の利用者にはとても想像できるものではないだろう。圧倒的な京都タワーの前で、北山の自然のイメージは余りにも小さく、忘れられた存在である。北山のはるか山並みの尾根に、スギが伐採され、その根株が白く乾燥して残り、巨木の後を示している。その根株を主木あるいは中心石として、尾根の薄い表土に岩が顔を出し、熊笹がその切株と岩を縁取る構図の庭が考えられた。庭はハレの舞台であるよりも日常、ケの場であり、その生活を根底で支配する自然が、かすかではあるが顔を覗かせる。そんな庭を気づく人はどれだけいただろうか。

長谷村の絵島の公園
 江戸時代大奥の絵島幾島の話がある。大奥の女中であった絵島が役者の幾島と恋をし、絵島が高遠藩に預かりの身になったという話しである。その居住した屋敷は囲み屋敷として一種の監視が行われて生活したのであろう。囲み屋敷は復元されて高遠の博物館に隣接している。しかし、実際に屋敷のあった場所は、今、美和ダムの下の谷に面した一角であったといことである。せめて、屋敷があったことを伝えようと、その場所を公園として確保することになった。私は長谷村の公開講座に協力していたので、公園設計の相談を受けた。
 過去の話は、再現されることはない思い出話である。遠い思い出は、誰も思い出とすることもない歴史のひとコマとなっているだろう。歴史にとって絵島が流されて住んだ場所は一場面に過ぎない。しかし、住民は絵島のいた時代から生活が連続し、その住民生活は歴史に風化することはない。場所は一場面ではなく、繰り返し使われる生活の場だる。このような歴史と住民生活の接点として、場所に生じる場面展開、場面を構成する主役、脇役のドラマとして設計を考えることにした。住民の公園として時代に流される住民生活を歴史との関連で自覚できる場所にしたらどうかということである。
 場所の特性によって敷地の歴史が生まれる。敷地を利用する人間の様相が変化して、舞台としての場所に場面の変化が起こる。絵島囲み屋敷は崖に面しており、井戸もあったという、渓谷を見下ろす眺め良い場所であり、周囲からは孤絶していた。今はただ、農地となって、自動車の通り道になっている。小さな公園はみすぼらしく、そこに新たなドラマが生まれる可能性はなさそうである。しかし、ともかくに公園となった。絵島の歴史は住民の思い出を誘う場所となるだろう。

まとめ
 庭づくりの3つの側面、1.意識の外化、2.環境への適応(風土性)、3.場所に生じる劇的場面の庭の設計を体験した。そこで、施主の希望は庭において実現したのであろうか。設計の条件を克服する環境の目標はみいだせたのであろうか。