山寺先生の直根論と土壌

はじめに
 山寺先生は緑化の技術研究の第一人者であろう。道路法面や山地の荒廃地は、侵食が激しく急速な緑化が必要となる。人工的な法面に、土壌を安定させ、種子を吹き付ける緑化工法は新田先生が開発したと聞いている。しかし、牧草による被覆は、植生遷移を阻害し、自然回復の障害となる。長い時間、数十年が過ぎれば、森林が回復してくるのは、高速道路の法面を見ていれば、明らかであろう。これは自然に生じる変化であるが、山寺先生は、緑化自体の目的に自然回復を設定したのである。鳥取大学では海岸の砂防技術として植林方法を開発したが、山寺先生の緑化技術の開発は、山地の荒廃地から中国奥地にまで、気候的条件の緑化困難な場所にまで適用できる技術を見出そうとしている。山寺先生の緑化論は、こうした実績にたっての理論展開を考えられているのであろう。
 緑化とは、荒廃した大地に被覆を回復させることだとすれば、自然が作り出した森林の被覆こそが緑化の最終目的であり、大地の森林の機能を補うものとして緑化を位置づけることができる。森林の成立の結果、森林土壌が生み出され、その森林土壌によって森林が再生されてくる。この循環の中で、森林土壌が森林持続の要因となってくる。
 林学における土壌とは、森林土壌のことである。森林土壌の条件に即応して植林、自然林成立を判断することが行われる。荒廃した山地は侵食によって土壌が失われ、基岩の風化した表土となり、植物の生育が困難となっている場所である。こうした荒廃地を道路などの建設で人為的に作り出したのが道路法面であった。

山寺先生
 山寺先生は数年前に大学を退職後、自宅に研究室を作られ、学生の指導にも当たられたということである。2年前に私も大学を退職してお会いすることはなかったが、先日、お電話でメイルを確かめられ、講演論文を送っていただいた。技術開発と実験研究から、論の構築に向かわれていることを感じた。緑化の門外漢の私ごときに、送っていただいて、とても喜んで、こうした駄文を書いている次第である。前々から山寺先生は社会に役立つ、実地の技術開発を進めながら、学究として実験的な研究に高めておられて、以前から敬服している人である。
 しかし、自然保護の立場から開発の補完として法面緑化があることに、疑問を感じ、また、技術段階の未熟さが自然回復に到達しないことにも不満を感じていた。造園の面からも緑化との関係はあったのだが、造園自体が造成地に野草の種をまいて花を楽しむなど、みかけの安易な緑化に終始している点で、土木や自然修復と関係する緑化技術に到達しておらず、接点が見出せず、先生と研究分野の接点の面で話す機会は在職中にはなかった。
 山寺先生のもとには、受験の段階から、地球の荒廃を救う緑化として、大学志望の動機に語る学生も多くいた。また、大学に進学した学生の人気の研究室となっていた。先生の穏やかなお人柄もあったが、研究への情熱が、学生の志望に刺激を与え、研究室の強い熱意に団結をかんじられる研究室であった。専門の業者や行政からも頼りにされる存在であった。

直根論
 山寺先生のメールに添付された論文の表題は、「温暖化防止を意識した緑の造成技術」とあった。1.生態系環境の改善に必要な森林の要件、2.現行の緑化施工における課題と改善点、3.健全な根系形成のための要因の検討、4.まとめで構成されている。1は大気組成維持機能、山地保全機能、水源涵養機能、気象緩和機能、生物多様性維持機能、自然景観保全機能の6機能が取り上げられている。2では乾燥地緑化、治山砂防緑化、造林事業、都市緑化・工場緑化、道路緑化、砕石地緑化の6つの緑化対象箇所の課題と改善点が取り上げられている。3では播種木と植栽木との根系形態の相違、根系を貧弱化させる要因、緑化手法が森林の根系形成に及ぼす影響、を取り上げ、根系の実態から生じた問題点とその改善策を検討している。
 森林の機能性を発揮する上で、森林を形成する根系の発達が重要であり、根系発達には、土壌要因が関係するが、緑化手法として苗木、播種などの技術が大きく関与していることを指摘している。根茎発達において主根である直根と支根である側根の伸長があるが、自然林では両者の根の伸長があり、根系はネット状に連続し、森林の諸機能が発揮される。しかし、荒廃地の復旧においての緑化、人工的な植栽は、根系の発達に直根伸長に障害が生じており、森林の諸機能の発揮が不十分な結果となる。その障害を無くし、軽減する方法を検討し、具体的に技術現場での緑化方法の改善を提唱している。
 緑化の最終目的は、森林機能の発揮であり、そのための方法は健全森林を成立させることであり、森林成立の前段において緑化手法の相違を検討し、手法の改善をはかる必要がある。その手法の重要点が直根論なのである。先生にこうした理解で良いのか聞いてみなくてはならない。先生の「直根論」は「緑化論」であり、「森林育成論」さらには、「森林生態系による機能論」へと広がっており、さらなる論の確立を期待している。

土壌について
 樹木の根系発達は、土壌を育成し、土壌によって規定されている。農業において成立する農地の土壌の起源も、森林土壌であるとされる。農地が貧困となると、森林に戻してその回復を待つ焼畑農業などは、森林による土壌の肥沃化に依存しているのだろう。また、農地として持続する上で、草木を肥料分として補うことも必要であった。地表に植生被覆は気候条件と土壌条件によって規定され、その植生被覆によって気候条件、土壌条件の維持が行われる。
 農業によって人類の文明の成立を見たが、土壌の貧困化はその文明を衰退させた。この論議は、1973年に出された「自然保護を考える」における兼松先生の論が的確であり、私はこの本の論評を書いたことがあり、兼松先生の「農業生産の立場から」に賛意を表した。兼松先生は草地学を専門とされ、過放牧による草地衰退と土壌貧困化は大きな課題であったのであろう。農業、畜産、林業において農地、草地、森林を連関するものとしてとらえようとしていたのが、兼松先生であった。
 草地においての私の体験は、野辺山にある。野辺山は採草地であったが、戦後開拓されて、高原野菜、畜産などのの地域に展開した。大学の農場・演習林が野辺山にあるが、小さな丘は戦時中、グライダーの練習場として使われ、芝生地となっていた。戦後、放牧の影響もあるが、数十年にも山頂は芝生が維持されていた。数十年後になって、やっと、植生遷移が進行し、アカマツやシラカバなどの木本の侵入が始まった。芝生が残り、ススキが侵入し、アカマツなどが混生してくると、一時的にキスゲマツムシソウ、その他、様々な草原植物によって丘が彩られるようになった。しかし、それもつかの間に、樹林化が進行して、草原植物の維持に困難を来たすことになった。一方、牛の過度な放牧が行われた場所では草地が裸地となって、やはり草原植物も衰退していった。進行遷移と退行遷移が如実に生じた例であった。
 樹木の成長は根系により、根系の発達は土壌によるものとしても、根系や土壌は掘り起こさなければ見ることはできない。しかし、植生の変化は結果的に根系、土壌の変化を示唆しているのであろう。