松之山 美人林

sei-fuchi2009-02-12

 松之山の森林はブナ林が特徴的的である。中でも美人林は多くの写真家をひきつけている。今日はキョロロ館を訪ね、近くの美人林を歩いた。雪の中のブナ林は歩くことに何の邪魔にもならず、ただ天空に手を差し伸べる様な梢や樹冠を軽々と支えているだけのように見える。この単純であるために生じた統一は、美的形式に合致している。垂直と水平のバランス、日照と陰影のコントラスト、遠方への漸層的変化といった、抽象化された形式を示している。
 冬の木立にやがて春の彩りが加わって、複雑さを増していくとともに、抽象的な形式による印象は薄らいでいくのであろう。単純なブナ林に生じる季節の変化は、春の新緑、夏の緑陰の木漏れ日、秋の黄葉の明るさに画然として生じることであろう。この美しいとしか言いようがない森林に、生命の力強さは感じられないのは私だけであろうか。春の枯れ木立の森は軽く爽やかで、芽吹きを待つ楽しさを感じさせるのに、何か儚く、森の悠久さを見出せない。
地面から浮き立つような健やかな幹は、地面を掴み取る根を想像させない。
 ブナ林は力強い巨木によって骨格が作られ、生命の力強い競争を多様な空間によって示す、動的な森を想像すると、美人林は特別な姿をしている。その特別な姿に美を意識させるのは何故であろうか。

ブナ林と農業とのかかわりの中で
 一緒に歩いてくれた佐藤さんはブナの梢を見上げて、花が咲いていると言った。ブナの芽吹きはもっと先なのに、花はもう咲いている。秋には多くの実をつけるのだろう。しかし、花が多いからといって実が多くなるとはいえないそうである。また、実の多くなる年には農作物が不作だという。
 後でキョロロ館の囲炉裏端での話で佐藤さんの疑問は、松之山に住んで、こんなにもブナ林が多くあり、水田の上流で水源涵養に役立てられて、保水機能は特別にあるのだろうかということであった。それへの澤畠、清水両氏の答えは特別にブナに保水力が高いわけではないとのことで、松之山の土壌の特性が水を透しにくく、地下水位が高いことで、直根性のミズナラの生育には適さないことがブナを優占させていたのではないかというものであった。保水能力は森林一般のもので、土壌層の厚さが作用している。佐藤さんの印象ではブナ林は湿性の土壌を好むようであるが、尾根部などのブナ林もあり、尾根部のブナ林は種の特性が相違しているのか、ブナの広い適応によるものなのかは確かめなくてはわからないことである。尾根部にもブナ林があることで、水田の水源として役立てられていることは確かである。
 松之山のブナ林は、棚田の水田に結びついて各所に見られ、松之山の特徴をなしているが、ブナ林の林相は各所で微妙に相違している。そのブナ林の林齢、手入れ、立地条件、遺伝形質などの要因による林相の系統的変化は明らかではない。そうした中で、美人林の位置づけも定かにはなっていない。美人林は、人を集める中で、間伐や下層植生保護など、その森林美に磨きをかけているのである。
 しかし、豪雪地帯でのブナ林の育成は、雪に苗木が被圧されるために、倒伏してしまい、毎年、支柱や縄で引っ張って直立させることが必要である。それでも、生育後に根元は雪のための弓なり状態が残って直立している。それはこうした苗木の時期の手入れの結果といえる。それで、ブナ林の皆伐後の植林や更新は困難があるだろう。

スギの植林
 澤畠さんによれば、今年はイノシシの出現が多いそうであり、その原因はスギ林の下の雪は固いか、少なく、そこが、イノシシの移動の回廊となって、雪で移動できない松の山にイノシシを出現させたのではないかというのである。スギは戦後になって植林されたそうであるが、松之山の景観を一変させる要因となったろう。草刈場や薪炭林の必要がなくなるとともに、植林が進んだのであろうが、ブナ林の水源林が残され、これに混在してスギ林が成立している状態は、とくに雪景色の中で白黒のコントラストを生み出し、山林に活気を作り出している。
 スギ林も水田のはざ木に利用されることで棚田の景観に結びついている。スギが湿地に適し、直立することが、この景観を生み出したのであろう。これも、戦後の植林によって広まったものなのであろうか。