日本の庭ことはじめ3

はじめに
 岡田さんが日本の庭で語ろうとすることを直接聞かせていただくためにお時間を頂いた。庭として印象づけられるような造園空間についていくつかの岡田さんの経験から話があった。その庭は地下水脈につながって、自然の根源を感じさせる井戸がある空間であるということである。
 庭が快適な空間であったにしても、それは一時的で、確かな存在として持続するものではない場合が多い。人口・人工のひしめく都市空間の中で確かな空間は存在せず、精魂を傾けた庭も残すことはできない。では、庭を作る意味は何だろうということが岡田さんの問いかけであった。
 こうした都市空間の中で、庭の意味を持続するための囲いを作り、小さな植木鉢がそこに植物を育てるように、その囲いの中は庭の意味を育てるものであること、それが造園空間ではないのかということが、岡田さんの仮説としての答えである。目指される庭の意味に、生活の根源となっている自然への回想があり、それが地下水脈を地上に出現させた井戸に象徴されている。

庭の根源
 井戸があることは、その場所の条件であるから、井戸がない場所では地下水脈の象徴にかわる根源的なものを探索しなくてはならない。それは庭を作ろうとする人の中にある。日本人であることの根源は米と魚を食べて生存していたことであり、その生存は自然環境に由来し、自然環境を破壊しないで持続させてきたことである。稲や農作物を扱う労働、その農作物を食べる生活、そうした日常に生かされて根源がある。そうした根源を感じる場所や事物を庭の根源として大切にすることが、庭の意味として見出される。これが岡田さんの語る庭の根源である。
 自然観は時代によって変化し、古代の万物を神とする神話的自然観、中国より導入された道教・風水の自然観、さらに、仏教、儒教の自然観、それら自然観の和風化の中で人々に受け入れられた。そうした自然観の変化は、生産様式や社会構造の時代的変化と即応するものではあったが、自然環境のもとでの生存の点では、変わらぬ根源であった。しかし、時代の変化と自然観の変化は庭の様式を変化させており、その変化の中にどのように根源的な意味がこめられているかが問題であった。
 岡田さんは庭の歴史を中心課題として取り上げようとするものではない。現在の造園デザインにとって、庭の意味としての根源を洞察することを必要しているだけである。庭園形式の長い時代的変遷を通観しても庭の変わらぬ根源的な意味を見出し、現在への継承を意義づけるのである。