広場空間から場所の構造

はじめに
 1960年は大学に進学した年であったが、安保紛争のさなかにあった。学生運動も盛んであったが、強行採決によって急速に運動は終焉した。その10年後の安保改定に反対運動が再燃し、大学紛争へと到った。こうした大衆運動は個人の社会的自覚に基づく民主主義の表われであった。こうした運動において集会の場所がいかに存在しないか、存在しないところでの大衆の集合は駅前や街路をで行われ、交通の空間を広場の空間に一変させた。こうした自然発生的な広場空間は警察、機動隊によって阻止され、退去を迫られた。大学紛争が発生したのも、学問における自由な集会の広場が存在しなかったことによるが、街路と同じように機動隊によって阻止される運命のあった。民主主義の直接的な実践において広場空間は、不可欠であり、西欧の都市空間に広場は普遍的に存在しているが、日本の近代化の中には広場の形成は見られなかったことが、1960−1970年代に顕在化し、民主主義の未熟さを示したといえる。
 こうした点で広場空間に関する論議が盛んになっていたが、その後、自動車の増大による歩行者保護が課題となって、街路に時間的な広場として歩行者天国が実現した。自動車の盛行は中心市街衰退へと連動していくと、中心市街の歩行者優占へと展開した。商業的な広場が必要とされたといえる。こうした社会背景に渡辺達三氏は学会で「ひろば論」を展開した。広場は共同体の集合のための場であるが、資本主義社会は共同体を個人に解体する中で成立した点では現代に共同体の必要はなくなっている。しかし、資本主義経済の中で個人は民主主義によって社会を構成しており、西欧における都市社会が共同体に民主主義を内包していた点で、都市空間の広場は、近代社会の民主主義に連続している。渡辺氏の広場論は、マルクスの共同体論に連携して展開した点で興味深い論の展開であった。

広場空間
 西欧における都市広場も、資本主義経済の進展と自動車交通の進展において、社会的、空間的にその存在意義を少なくしていったと考える。しかし、中心市街の衰退と自動車交通による歩行者への圧迫に対処する方策が、広場の復活としてとられていったといえる。しかし、それ以前に広場空間の美的効果に注目され、カミロ・ジッテによる「広場の造形」の著作がある。広場空間の歴史的変遷にはポール・ズッカーの「都市と広場」がある。
 渡辺氏の広場論が共同体論を論拠に展開している点で、日本では近世までの農村社会までは広場が存在しえたといえる。マルクスによれば、日本では、アジア的形態の共同体に停滞しており、個人の独立性は未熟であった点で明確な広場の形成(ギリシャにおけるアゴラのような)は見られず、中世農村のゲルマン的形態の共同体におけるヴィレッジ・グリーンとも相違し、神社境内や辻広場が該当するものであった。これは近代にも引き継がれ、皇居前広場が著名であるだろう。そして、民主主義を内包する都市広場の存在は日本では見られないままとなり、渡辺氏の広場論の展開も中断してしまった。

場所の構造
 個人の自由な行動とその広場への集中との関係は、個人と共同体の関係としての社会条件によるものである。個人の自由な行動に伴う場所がどこに向かい、また、社会的な共通項を見出すためには、行動の動態の観察から社会的条件との関係を読み取る必要がある。人々が集中して現れる生活の結節点は、交通機関、施設であり、社会組織上の公共サービスとしての公共施設であり、生活消費としての商品を購入するための商店街、大型店舗、収入を獲得するための職場の集積したオフィス街、工場地区である。これらの結節点は行政組織の活動や企業の活動によって、公共による社会の持続、経済的必要から生み出されたものであり、人々の行動は、こうした空間形成に従属して顕れている。人々の行動は、自由であはあるが、社会や経済によって形成された空間に適応して生じており、民主主義によって人々を主体とした改変の可能性は少なく、広場の形成は困難であり、実際に広場を見出すことはないとまで断言できないが、目に付くことが少ないことは確かだろう。
 場所という言葉はplaceによって広場に通じているが、近世までの都市空間における広場は、近代において拡大する都市空間と資本主義経済の進展の中で、市民共同体から、市民民主主義と階級社会へと転換し、広場の中心性は様々な市民の行動の機能を体現する場所へと拡散あるいは機能分化していったのであろう。
 都市の城壁の破壊は、都市拡大の必要から生じ、都市拡大は都市の境界を消滅させると共に、広場を場所へと拡散していく。近代市民は生活行動によって都市のイメージを見出すのであるが、市民の共通する都市空間は市民に適応を迫る社会体制と経済条件によって生み出された環境条件と思えないだろうか。これが都市民を主体とした空間に転換させる運動の展開が必要とさせたのである。しかし、広場の実現するためには、民主主義による社会関係の構築を不可欠としている。都市空間の輪郭を明確になるためには、都市のイメージが個人から、民主主義に基づく自治体の計画へと昇華して市民共有のものになる必要がある。「都市のイメージ」を表題とする著書はケヴィン・リンチによって著されている。