風景の模型(2)

はじめに
 盛口さんから次のような御返事をいただいた。かいつまんで、私にとっての「模型のはじまり」について小学4年生の頃、授業間の休み時間に、教室から校庭へ飛び出そうとした時、大柄の上級生と激突し、跳ね飛ばされ、その時、まわりの風景がボーと見えた瞬間に、 「なにか欲しいものを見つけて手に入れたい」と思う時のような不思議な感覚が沸き起こりました。との以上の話をいただきました。私も同じような相撲をしていて、頭を打って、意識がかすんで見えてきたのは、それまで意識したこともなかったスズカケノキの木でした。上空を見上げ、実のついた木からふと何故、この木にそんな名前がついたかに思い至りました。北原白秋の歌とともにこの木が一層好きになりました。

模型の風景
 風景の模型を作っている盛口さんは、何故、以上の経験を教えてくれたのかを考えてみました。遊びに熱中した子供の頃、衝突を境に別の世界が見えたことは何だったのか。世界は自分のためだけでなく、世界があって自分があるのだという意識への転換だったのでしょうか。その転換は近景と遠景の相違とも言えるかもしれません。遠景は近景に重なってしか見えてきません。そして、私たちは行動空間を近景として知覚していて、背景となる遠景を意識していないのかもしれません。遠景の中に近景となる行動空間が置かれているという意識は、大きな転換にちがいないと思います。
 確かに、盛口さんの模型には、模型の建築だけでなく、周囲にある背景が作られて実体感を持っています。背景があってこそ行動空間となる建物が生かされてくると思います。しかし、背景をセットすることは、行動空間の背景に対する必然的な関係を問題としています。