松之山 キョロロ館の展開2

はじめに
 松之山町十日町市編入され、キョロロ館も市の施設となった。キョロロ館の建設は松之山町の時代に行われ、町としては巨大な事業であるだけに、大きな期待が込められていたにであろう。それは衰退する山村の地域づくりの切り札であったのであろうか。美人林に人が集まり、そこに隣接した森林を博物館の一部にした点で、観光利用の増大を期待していたのかもしれない。しかし、博物館を観光開発とを結びつけることは、困難な問題であったろう。少なくとも、山村に若い研究者を呼び寄せる効果はあり、展開の期待と可能性が生じたことは確かである。一方、呼び寄せられた若い研究者は、博物館の方向も定かでなく、また、松之山をフィールドとしてどれだけ専門の研究ができるかも目処が立てられず、難渋の時期を過ごしたことは想像に難くない。地域に飛び込み、地域の要望を汲み取り、地域の中に専門のフィールドを見出す、パイオニア的努力が必要であり、これを成し遂げる人材が育ってくることで、糸口が開かれたといえる。
 十日町市への松之山町の併合は、一見、特別の変化がないように見えながら、キョロロ館には転換が生じていることが推察される。地域活性化の地域の期待から、教育や見学者の啓発などの博物館としての機能へと転換し、地域は博物館の研究、教育フィールドとして活用されるものと考えられるようになったのではないだろうか。地域に密接した博物館は、おそらくまれな存在だろう。地域の教育効果を、博物館が最大限に引き出す可能性が期待されるのである。しかし、松之山地域の衰退にどれだけ歯止めがかけられるのであろうか。

地域にとっての博物館
 地域と博物館の関係を、住民と博物館、観光客の関係から考察してみよう。地域は山村の不便さ、離村と高齢化によって衰退している。しかし、この際立った不便さは、時代から取り残された山里を持続させ、秘境として希少価値を生み出した。豪雪地、山地の困難な農業としての棚田、急峻な地形と広い山林は、類まれな山村風景の魅力を保持し、古くからの温泉もあり、ブナ林の特別な風景として美人林が人を集め、大きな観光資源を持ちうるようになった。しかし、温泉と美人林以外は閉ざされた観光資源であり、観光客の多くには、山村の風景を行きずりに見過ごすものでしかありえなかっただろう。また、美人林にしても松之山ではありふれたブナ林の間に偶然に成立したように見えて、その持続や再現に不安が大きい。温泉も湯治客だけが相手で利用は伸び悩んでいる。