森林風致施業と保育作業

はじめに
 森林に対する美的顧慮あるいは風致的取扱いは、風致施業が言われる以前によく使われた。一方、風致施業とは何かといえば、多くのこれまで開発された森林施業に対して特別の施業方法が提示できるわけではない。森林施業は森林育成と継続を木材生産を目的として行う一貫した森林の取扱いといえるのであろう。森林生育の途中過程で必要となる森林手入れは、保育作業といわれる。美的顧慮は、成立した森林の美的な改善とし、風致的取扱いは保育作業に加えられる森林環境の改善と一応、しておくと、森林生育の個々の段階で必要とされる美的顧慮と風致的取扱いを森林施業に統合させて森林生育の一貫作業としていこうとする所に、風致施業を定義できる可能性があると考えられる。
 以上の前提から風致施業を定義すれば、森林育成の目的を功利に美を調和させることであり、作業内容は森林育成段階に応じた保育作業に風致的取扱いを加味することを付加していくことにあると言えるだろう。功利と美の調和の可能性と森林の風致的な保育作業が、森林施業の選択を規定する要因となるかもしれないが、そこには、森林の立地的条件、経済的、経営的条件によって、左右され、それによって、森林施業の選択に相違が生じることが考えられる。しかし、風致施業には、皆伐作業が非難され、択伐作業が推奨されることが多いといえる。

保育作業
 植林してから、下刈り、ツルきり、除伐、間伐による保育作業が成林までに必要となる。伐採による収穫は、次に生じる森林育成のための投資が必要となる。投資を少なくし、木材収穫の利益を大にすることが、森林経営の目標となる。択伐は伐採時の経費が大となるが、森林を持続することで、保育作業を軽減することができる。皆伐作業の森林も成林すれば、保育作業は、択伐林と同じように軽減される。
 皆伐林において、森林の風致的取扱いが成林後の問題であるとすれば、保育作業が済んでからの問題といえるのだろう。しかし、風致的取扱いの方法は保育作業の方法と一致している。森林の林縁、林内の下層植生の繁茂は、見通しを悪くして、森林を壁のようにしてしまう。そうした閉鎖を緩和させて見通しを良くし、下層植生を浮き立たせるためにツルきりと選択的な下刈りが有効である。
 AFCの小林さんがこうした手入れを行うので、見学に出向いた。学生実習に取り入れる森林作業として検討し、同時に構内林の風致育成に役立てるものであった。森林には多様な状況があるので、それに即応した風致的改善の目標を検討する必要がある。こうした実地の検討を積み重ねることによって、一定の状況に対応した風致的取扱いを設定できるようになるであろう。
事前の林縁
手入れ後の林縁
 風致的手入れが事後の効果と森林更新の効果によって常に、試行錯誤であることを考えれば、その経験を記録し、蓄積することが重要である。学生の実習で、学生の技術習得とその向上を考えるなら、なおさら、記録は必要である。場所と日時とともに、学生に事前の森林の状態をどのように認識したか、その状態の良否をどのように判断したか、改善のための方法として何を選択すればよいか、を考え、記述させることが良いのではないか。そして、事後において、作業過程はどのようであったか、どのような道具を使って、何が問題として生じ、計画の変更は無かったか、作業の効率、かかった時間などと、最後に作業効果を評価する。学生が個々に行う場合とグループで行う場合があるだろうが、いずれも個人で記述するが、グループの作業は、グループの議論が事前、事後に必要となるので、その記録を取ることが必要となる。

風致施業への継続
 森林は一日にならず、生育、衰退の過程として、人工林なら育成、収穫の過程として動的な変化とともに成立している。ある段階の風致的取扱いも、こうした動的変化の過程を念頭におき、その操作として適用されていることを意識する必要がある。しかし、操作と言える程に予想した効果を上げる技術が確立しているわけではない。そうした点で、風致的取扱いは試行錯誤であることを逃れられず、主観的で、一時的な美化の方法として、理解されることが多い。
 森林の現状は、過去にどのような過程を経ているのか、今後、どのように生育していくのか、十分に観察、考察して、手入れ方法を考え、試行錯誤のもとに、手入れを連続させて、はじめて、結果的に風致施業が成立するのではないか。しかし、この過程には長期的な時間がかかっている。一人の力では、手入れの継続は不可能である。組織的、森林経営に組み込んでこそ可能となる問題である。しかし、風致的取扱いを風致施業の成立を意識して行うことが必要であることは間違いないことである。また、森林施業を前提として風致的取扱いを位置づけることができ、それを風致施業と定義するということにもなるであろう。