風景の模型(6)模型空間の中へ

はじめに
 昨日、森の口さんから、森林風致計画研究所に関するある模型を送って下さると連絡があった。どんな物かは今は想像するだけである。模型を想像するのではなく、森の口さんの表わそうとしたイメージが何かを想像している。森の口さんは最近長年、夢見た松本城の模型を完成し、ホームページにその写真を掲載している。松本城の実像はいつも目にしているので、写真の模型が実際どうなのか目にしたいところである。松本のあるお菓子屋さんにも松本城の模型がある。相当大きなもので、確かめて見なくてはならないが、マッチの軸で作っていたのかと思う。確かめてみたところ、砂糖で作られていて、その店の菓子職人の30年前の作品だそうである。

 森の口さんの模型とお菓子屋の模型は明らかな違いがある。お菓子屋さんの模型では、松本城のあまり重々しい実体感が感じられる。これが砂糖でできていることは、説明なしには想像できない見事な出来栄えであり、模型は緻密で立派であるが、事物としての実体感に留まり、実像の松本城が浮かんではこない。森の口さんの模型は、事物の実体感を越えた実像を感じる実在感とともに、どれもドリームランドの楽しさがある。しかし、ドリームランドとは異なる実在感がある。
 ドリームランドはディズニーの漫画の虚構を現実化したものであるのだが、漫画でしかない世界に子供の頃の実在感は感じられない。ドリームランドは、大人にも子供にも漫画の主役との空想を限りなく広げる世界なのだろう。子供の時代は誰しも空想に知らない世界を広げる。しかし、その空想の出発点には、子供が直面する現実がある。にも関わらず、現実感の希薄な漫画の空想は一層楽しい。お菓子の家は、飢えた子供の時代にとても魅力的だった。
 森の口さんの模型は、現実的な空間を縮小しており、そこから、実在感が感じられ、その中に入り込んでゆく空想が生じてくる。その空想が、模型空間の中に見る人の場を生じさせる。あるいは、もう模型の中に見る人の場が準備されている。

模型の中に入る
 自動車の模型は子供の頃の遊び道具だった。未だ自動車が普及した時代ではなかったが、ゼンマイで走る自動車の模型は子供の憧れだった。縁側の廊下を走らせて、余り見ることも無かった、車に乗る空想を楽しんだ。飛行機の模型はまれで、空襲の悪夢と重なって、遊んだ覚えは無い。それよりも、船の模型は水に実際に浮かべて楽しんだ。乗り物はどこか遠くに出かけることとも重なって、子供の空想を一層喚起するのだろう。
 地面が雨や風で変化していることから、地形の大きな変化を空想することは、ふとしたことで気がついた。地面につけた線や文字は、踏まれて消え去っていく。雨は水溜りをつくり、地面に流れを作る。雨滴は小石の周囲を削って小さな段丘の群れを作る。そして、日当たりや日陰で乾いた地面、湿った地面が作られ、生えてくる草やコケが相違する。砂場遊びは高い山を作り、崩れ落ちる崖や斜面を作る。極微と極大の世界の連続性を予感させる空想を喚起する。古代の中国人の空想や禅僧の自然の洞察は、子供の世界で体験したものかもしれない。
 庭の空間は、極微の部分から構成されて、極大の世界の空想に連続させる場所である。この庭の空間を縮小して極微の部分で構成したものが箱庭であり、盆栽であるのだろう。そして箱庭や盆栽は小さな箱や鉢から、極大な世界の部分を構成することによって、広大な自然への連続を空想させる。
 森の口さんの景観模型には、こうした子供から大人の夢と空想が含まれ、同時に実在感をもたらす場が設定されている。模型空間の中で場を自由に移動して、様々な視点から模型空間を体験することができる。

送られてきた模型

森の口 様へ
ともかく、お礼を言わねばなりません。すばらしい作品です。お預かりするということで、受け取らせていただきます。研究所の目標である「森林風致」を模型に示された感じです。松林の美しさに目を見張ります。森の上から森の中を覗くと、また驚きました。いろいろな見た顔がいます。春の昼近い時刻の優しい日差し、秋の夕方の陽だまり、光線によって集まりの表情が変化します。この木立の中の陽だまりで、集まりの実在感は、理想に昇華され、ギリシャの学究の広場の普遍的な理想が蘇るようです。現実にとっては大げさな言い方ですが、盛口さんの作品には高い理想が籠められていることは確かです。次郎長親分とともに感激しきりです。早速、ブログに掲げました。

森の口 様より 
 ブログとメールを拝見拝受いたしました。望外のお喜びと、ご評価をいただき、同士とともに恒例の金曜日の礼杯を上げさせて頂きました。今夕は楽市880円のスコッチウイスキーとオスカーピーターソンです。
 製作の動機を考えました・・・やはりキーワードは「ある時空へのいとおしさ」なのでしょうか。私共の「遊び」への絶大なる賛辞・・・・・・本当にありがとうございます。戦地従軍の方々への第1回慰労会が、とりあえず成功だったことに感謝いたします。
 一昨日の新聞にて、気になるコラムを見つけました。(添付)人類学者中沢氏の「無意識」には、「風致の地平?世界?」のようなものを感じました。そしてそれは「風土の起源」へも繋がるように感じてしまいます。かつての良き日本の風土は、かつての日本の「オカンの無意識」が創った。・・・・・この解釈は正しいのでしょうか?・・・ご教示いただければ・・・

本家さん登場
 6月17日、本家です。今、小布施にきています。一時間後にうかがいます。と電話があった。夕方、6時半に事務所を訪れた。清水さんのブログとこのブログをいつも見て頂いているとのこと。事務所の様子を一度見ておきたいとのこと、盛口さん、岡田さんとも同期で、ブログはなつかしい学生時代の同期の出会いの場となっているようです。うわさの模型の実物に顔を近づけて、その中に一瞬、吸い込まれて模型の人物の中に自分がいないかと探しているようでした。研究所の活動資金の心配もしてくれて、急いで伊豆へと帰られました。うれしい限りの来訪です。