工芸と工業社会―仮説の社会構造

仮説の社会構造
 われわれの日常生活は、社会構造の一部であるはずなのに、社会構造は混沌として見えてこない。子供が自然の現象を体験して、疑問を抱き、その原因を推理して、勝手な自然観を空想する。現代人も様々な情報を持ちながら、明確な世界を見出せず、仮説としての社会構造を空想するのではないだろうか。あるいは、社会構造は明確であり、日常生活が混沌として、錯綜しているのであろうか。昔読んだアンリ・ルフェーブルの「日常生活批判」を読み直す必要があるが、日常生活に生じる様々な問題意識を、社会構造に仮説を想定しながら、分析的に考察しようとするものである。それ故に自己の考察のためであり、論証を経ない点で、一主観に過ぎないものである。

はじめに
 近代は生産基盤が農業から工業へと転換し、工業社会とされる。農業を基盤とした前近代の自然の素材による工芸作品は工業製品に置き換えられ、極度の人工化が進んでいる。工業生産による大量生産は、規格化されて安価となった製品、家事労働を軽減し、生活を快適とする多様な製品をいきわたらせている。
 近代当初における工業化の威力は、農業時代の工業の担い手であった職人を駆逐した。強力な生産力は余剰人口を生み出し、第三次産業を発展させ、都市への人口集中をもたらした。農村の人口は都市に流出し、農業自体も大規模化、単一生産への集中化、機械化へと工業化を進め、地域の地産地消の自給自足的な地場産業を大規模流通の中に衰退させた。工業化によって社会構造までもが支配される状態となった。生産システムの合理化と技術の進歩は、企業の自由競争とその停滞が波動的に生じて進展してきた。生産力の増大はさらに余剰人口を生み出し、人口増加が需要を生み出す。個々の生活時間には、余暇を、生涯年代では、老後生活を増大させている。しかし、余剰人口を失業に追い込み、失業の恐れは人口減少を招き、消費を減少させ、経済を縮小する。
 工業化における生産力の増大は、人々の豊かな生活の源となるはずだという理想は「ユートピア」として考えられた。豊かな生活は、物質の量的充実から、精神的な質的充実を求めるものであった。工業化が量的充実をもたらしているのに、工業化にはない質的充実が志向されるようになった。19世紀末に物質的な社会への批判と生活の転換、改善、社会政策が進展した。田園都市は現実的に可能な生活の理想像と示された。その理想に収斂する様々な転換の中で、工芸製品への復帰、地域的な地場産業の回復の志向が見られる。
 工業製品への批判と中世における職人生産の工芸品の見直しが、イギリスで生じたウィリアム・モリスを中心とした「アーツ・アンド・クラフツ」運動であった。日本では、民芸運動として受け入れられた。モリスが社会改革家であったのに対して、日本の民芸運動は、それ程の社会性が無く、生活用具ではあるものの伝統工芸の持続、回復を志向する面が多かったのではないだろうか。

様々な職人
 工業技術も技術者の職人的熟練に支えられる部分があったが、自動制御による生産はこうした技術者の熟練をも不必要なものとするようである。機械に支配された、単純、単調な労働となり、こうした労働も機械に置き換わる。労働から、人間の姿が少なくなっている。単調な労働は、単なる労働者を必要とし、技術者を必要としない。向上の目標の無い労働は、意欲を喪失させる。自動化された工業生産は、過重な労働を省力化するが、労働力を縮小し、熟練の機会を喪失させる。生活時間における労働と余暇の分離は、余暇に人間回復の救いが求められ、技術的向上と熟練は、趣味の領域に移行させられる。消費、余暇は、第三次産業の市場となって拡大する。