アーバニズムにおける造園−仮説の社会構造

はじめに
 アーバニズムが何か、Wikipediaによって調べてみた。庭園デザインがアーバニズムに即しているか、いないかをを問題にする人がいたためである。引用をすれば、シカゴ学派社会学者ワースが知らしめた概念で、都市の集団的生活様式を意味し、人間生態学、社会組織、社会心理学の3側面から捉えられるとされている。シカゴ学派以後、アンリ・ルフェ−ブルやマニュエル・カステルによって、資本制国家との関連のうちに体系的に論じられることになったとされる。建築分野からコルビュジェに結合していることを示すともされる。
 庭園デザインがどのようにアーバニズムに即するのかの指摘は、何を意味するのかわからないが、ここでは仮説として、庭園が都市の場としてデザインされることを意味すると考えたとしよう。確かに、アメリカの近代造園の改革は、都市の場として機能することであったと考えられるからである。都市の風景デザインとして、オルムステッドが公園系統を導入することによってアメリカの造園が出発したのであろうが、都市の動的変化における生活環境の創造的回復が近代造園の課題となってきたのではないだろうか。それは、実存主義の主張、アンガージュマン(参加)に似ており、社会構造への参加によって生じる主体の場の設定に共通しているのではないだろうか。これは、アンリ・ルフェ−ブルの哲学にも通じていることになる。
造園デザインの混在とアーバニズム
 日本においては、近代化とともに、西洋庭園の様式が導入され、その後も断続的に時代的流行として、新たな様式が導入された。アーバニズムが都市発展の状況であるにしても、日本においては、時代的な思想、様式の一つに留まるのではないかと考えられる。過去に導入された時代的様式は、歴史的産物として整理されないままに持続し、都市空間の構成要素となっているといえる。東京駅丸の内から皇居にいたる並木道、新宿御苑の整形式花壇と風景式庭園の芝生地、また、日本庭園など周囲に見える高層ビル群の中で、異質な空間を存在させている。
 この混在をも含めてアーバニズムというのであろうか。確かに都市住民はこうした混在をかえって利用して都市的生活様式を実現しているのかもしれない。しかし、こうした秩序の見られない混沌とした空間で生活することは、たくましさを要求するものであり、それに耐えられない人々には苦痛であろう。この都市空間にアーバニズムの観察、分析を通じて都市空間の計画的改善をはかるのもアーバニズムといえるのであろうか。アメリカの近代造園の改革も都市空間の変化とそこでの住民生活からの連続性を見出すために行われたといえるのであろうか。
 建築においてコルジュジェはモダニズムの旗手とされている。近代建築の動向ではモダニズムの建築家の居住環境に関する集まりが、ドキシアデスのエキュメノポリス提唱の契機になっている点で、アーバニズムと建築のモダニズムとは結合し、今日の居住環境形成の機軸となっているのであろうか。
 そこに、造園家はどのような関与をしているのであろうか。先駆的に田村剛は造園におけるモダニズムとの接点を意識していたであろう。彫刻家で造園家ともされるイサム野口は、モダニズム建築と機を一にしている点で接点を見出すことができるのであろうか。モダニズムの系譜を継いでいる阪田導夫や大高正人が加わって、1960年に出版された「現代のにわ」は当時、日本における造園の近代化を志向していると考えている。1961年には関口編による「造園技術」の出版が見られ、工学的な造園論の展開を志向している。
 しかし、この動向は、結局、残念ながら頓挫していると見るほかは無い。建築との協力関係、都市環境に果たす造園の役割の必要性は大きくなっていったが、理論的展開は図られたとは言いがたいからである。この原因は高度経済成長の急速な社会変動に、あわただしい技術対応が理論化の時間や人材の成長の余裕を生じさせなかったせいなのであろうか。