風土における造園−仮説の社会構造

はじめに
 風景は環境の視覚的な表層であるとすれば、主体にとっての意識的表層と物理的環境の表層を包含していることになる。意識の表層の影響を左右する深層の意識は経験の記憶、体験の原風景を上げることができる。物理的環境の表層は時間的な瞬間、環境の一部であり、これに対して、継続的な時間と環境の全体が深層として対比されるであろう。風景は環境を構成する要素の構成として成立している点で、瞬間、部分でありながら、要素の継続的関係、また全体的関連性を包含している。そこで、風景の表層が、深層となる全体的環境によって構成されていることを見出すことができる。表層的な意識も連想によって深層意識と交信しており、風景の物理的環境の表層を深層の全体性による構成を意識させる。
 「風土」は古代に「風土記」として見出されるが、近代に和辻によって、西洋と対比して日本の特性を論じる上で、取り上げられることになった。主体と環境の相互関係の結果もたらされる特徴的な生活形態を示すものであろうか。風土を物理的環境の面から言えば、英語では気候(climate)が該当するのであろう。気候は大気の状態として「風」と一致するが、「風」は洋風、和風のような様式を示す意味もある。大気(atomosphere)という言葉でいうならば、雰囲気が該当する。物理的環境であると同時に、生活と心理に関連していることがわかる。風土は生活と環境の交互関係であるとともに、その深層を形成する自然的条件といえるのであろうか。しかし、風土は気候学でもなく、地理学でもなく、歴史学でもないにも関わらず、それらの分野を包含した概念である。
 風土が地域の特徴を生み出す深層的要因であるとすれば、表層的な変化が生じても不変な要因となる。しかし、表層が失われて、他の表層へと変化するならば、深層の風土に到達する手がかりが失われることになる。人工的な都市環境の展開は、まさに、風土への結合を喪失させるものである。