帝国の市民意識−仮説の社会構造

はじめに
 ドイツ語の本が英訳され、その英訳された本の和訳に関わって、英訳に当たったアメリカ人に親しみを覚えると同時にアメリカ人に古代ローマ帝国の市民を感じた。ローマ帝国は多様な民族を包含した地中海を中心とした広大な国家であったことは申すまでもないが、市民による都市国家が起源となって成立し、市民はその帝国の自由と富を享受し、皇帝は独裁者ではあったが、帝国の維持を通じて、市民の豊かさを保障した。その帝国のもとを作ったシーザーとその後の皇帝の名前は12ヶ月の毎月の英語の中で生きている。
 資本主義の発展形態として帝国主義が言われ、多くの植民地が作られたが、アメリカは多くの移民を迎えて、他民族国家となった。植民地が独立し、世界は多くの独立国が生じると国際連合が作られた。地球と人類の命運が、この国際連合にかけられている。この国際連合には連合組織の民主主義が保たれ、世界に支配される国は存在しなくなった点で、帝国主義と侵略は後退したといえるのだろう。
 こんな評論家的認識がここでの問題ではない。国際連合の連帯関係の中の一国家で生きる自分から世界をどのように理解し、日常の判断に生かすかが問題なのである。特に、歴史的な状況を認識する場合に、世界と歴史への認識が必要である。戦後の哲学の展開もこうした世界状況と関係し、多元的な世界の評価と認識が生まれたとされる。