森林風致のモンタージュ理論

はじめに
 モンタージュはマイケルジャクソンの歌だったとは驚きである。犯人を捜すモンタージュ写真は頻繁に使われる言葉となっている。しかし、正当にもウィッキペディアには映画用語であることを明記していている。フランス語で(機械の)組み立てを意味し、映画はフィルムの1カットを繋ぎ合わせる、見る側からは1シーンとなるが、その繋ぎ合わせる技法を指し、理論として提示したのが、エイゼンシュタインであり、グリフィスであるとしている。この二人は異なるモンタージュ理論を構築したとされる。
 エイゼンシュタインが言語構造を基にした映画手法であり、言語的認識が映像に転化し、言語の構成がモンタージュとなっていることは、文章と同じく、映像が構成されている点で興味深く、その理論構成の過程を学ぼうと以前より注目していた。そして、森林の修景による空間構成としてデザイン論に展開できるものと考えてきた。

森林知覚のモンタージュ分析
 奥敬一氏のシークエンスの「見せ場を作る」の考えとも一致したものである。「フォレストスケープ」では演出の手法が提示されている。しかし、モンタージュ理論が森林言語に適用してデザイン手法とされた例は、当研究所の伊藤伸二氏の駒ヶ根市での報告書(2004)以上のものを知らない。
 また、近年、清水裕子氏が取り組んでいる森林表現の言語解析と森林知覚の変化の研究は、森林の知覚がモンタージュ的であることを明らかにするものだろう。より以上に言語に先行する環境認知としての森林知覚の構造を明らかにすることが期待できる。
エイゼンシュタインモンタージュ理論からは、知覚が注目の移動によって構成されていることが示唆される。グリフィスの理論からは一つの場所における多くの人の様々な注目を示唆している。場所構成と知覚変化を連結して考えると、シークエンスの空間デザインの方法が仮定される。シークエンスの場所構成に見せ場という共通の知覚がどこに成立するのかが、奥氏の論文で示された。しかし、歩行に伴う継起的な知覚変化における場面の印象の把握は、清水氏の知覚を生じさせる場所の条件としての森林環境と関係付けた森林の言語表現による分析方法が有効なのではないだろうか。

モンタージュ理論による森林風致のデザイン
 モンタージュ理論を森林風致のデザインに適用する場合、森林における場所を1シーンとし、その場所の環境を構成する要素を抽出する。各シーンを構成する要素とシーンの連結から、歩く人の知覚を映像として、ドラマ的に構成する。一様に見える森林環境もシーンの中心を占める要素の抽出によって様々なドラマ演出の可能性が生じる。外的な環境変化と視覚と音の感覚、内的な印象、連想の呼応関係として組み立てるのが、エイゼンシュタインモンタージュ理論にある。
 森林におけるシーンは、映像と音声によって切り取られたものではなく、実体と実感によって構成されている。森林を手入れして環境構成要素を場所によって変化して強調することが、シーン構成の操作である。そこで、森林風致のデザインは森林現場で、実感しながら、ドラマの監督のような意識で実地に行う必要がある。