森林と雨

はじめに
 昨夜から雨となり、朝になっても未だ降り続いている。森は黒づんで、しっとりにと重く感じる。ダ・ヴィンチの手記には乾燥地と湿潤地での樹木の葉の色彩の違いを観察している。尾根と谷では土壌湿度の相違から、ダ・ヴィンチと同様の観察ができる。葉の色から土壌湿度を推察するのであろう。森の樹木は雨をどのように受け止めるのであろうか。葉を潤わせ、葉先から滴となって、落ち、下の葉や枝に当たり、潤す。森に入ると、一時的な雨では、雨に当たらなくてすむ。しかし、降り続く雨に時間が経つと葉の滴りが落ちてくる。森の中の雨は、外とは違っている。
 雨は土中に水分を供給し、植物はその水分を根から吸収している。土中が乾燥すると、樹木の葉が枯れてくる。成長が盛んで、葉が生き生きしていることは、土中に水分が確保されていることであり、ダ・ヴィンチの観察に合致するだろう。しかし、雨は葉に留まって地面にまで到達する水分が減少する。そこに、樹木が効率的に水分を根元に集める、「樹幹流」があることを教えられ、研究も行われているとのことである。広げられた幹からの枝は樹冠を支え、樹冠によって光を利用するだけではなかった。枝の拡がりはひそかに幹へと水を伝わらせていたのである。幹の乾燥も和らぎ、土中に集中的に水分が供給される。
 上空で雨を遮断された下層植生は、高木層の日陰に耐え、また、乾燥にも耐えなくてはならないのだろうか。草原で雨の中、雨の後に掻き分けて入っていくと、びしょぬれになってしまう。しかし、林内では下層植生はまばらであることもあり、そんなに濡れることはない。しかし、日陰は蒸散を抑制するので、恒常的に湿度を保つことで、林内の下層植生を維持しているのかもしれない。落葉樹林の下層植生は春に花を咲かせ、葉をつけ、夏には地下で球根として生きる植物がいる。これらは、春の限られた陽光を利用して生きている。森林は雨の水分を保つことも行っている。

地表の被覆
 森林は無機的な地表に、水分を保留させ、森林自体と他の生命にとっての水分を一時的な雨の水分を持続的に確保しているといえる。雨による地表の侵食や崩壊を森林が被覆していることによって、防止するか、緩和し、大気への蒸散を抑制することによって、水分を土壌に保って、森林の生育に役立てている。森林や植物、動物も含めて、ほとんどを水分によって構成されている。森林はその存在自体によって、地表を流れ行く雨ー水分の循環−を地上にできるだけ、留め、生命を支えている。森林の被覆なくしては、地上の生命が存在し得なかったことは明らかだろう。
 地表の森林被覆は林冠の景観として知覚される。航空写真では林冠から森林の状態を把握する。柔らかい綿毛のように緑に覆われた地上は、生命に満ちている。乾燥した大地には森林は見られず、森林が無いことによって大地が亜乾燥している。人為による森林喪失は、無機的な環境を拡大し、生命を奪うばかりでなく、無機的な環境を熾烈な環境に変えていくようである。

地下への水分の浸透と地下水 浸透に果たす森林の役割
 地下水はもとは湖水や河川だったかもしれない。土砂が堆積し、その土砂の中にかっての湖水や河川が残っているのかもしれない。土層には小石の層や粘土の層など土砂の堆積した層で構成される場合がある。平野や扇状地は、土砂の堆積が作り出した地形であるから、土砂を流し、堆積させた川や湖が地下にあったとしても不思議ではない。地上に降る雨が土層に染み込み、地下の湖や流れを維持する。しかし、その水は過去、何年もあるいは何十年も前に降った雨なのだという。森林は土砂の堆積した上に成立し、水を地表で流出させるよりは、地下へと浸透させる。地下水は森と土と透過してろ過され、湧水となって利用される時、地下の温度に冷やされ、暖められる。

表面水 流域 河川による海への流出
 地下に浸透しなかった水は蒸散するか、地表を流れて流下し、流れが集まって川を作る。浸透した地下水も地上の流れに合流する水もある。流域の水を集め、大きな大河をなして、海へと戻っていく。川の水質は海の生物に影響を与え、森林によって育まれた河川の流れ込む海では、その栄養分によって海の生命がさらに育まれる。海から生じた水が海へと戻る循環の中で、森林が育ち、森林によって海の生物を豊かにする生命の循環もまた成立しているのだという。

大気によって運ばれる海の水分が陸地に雨として供給される。
 地球の表面は陸地と海によって構成され、大気が取り巻いている。雨の源は海であり、大気によって陸地に雨が運ばれる。雲の流れ、集まって高く上昇して、雨滴に凝集して地上に降り注ぐ。その雨が、地上から、川を通じて海に戻ってゆく。森で見る雨から、海の水面や流れる雲を思い浮かべられるだろうか。