風致林の成立

はじめに
 人工林の多くが壮齢林となり、収穫を予定した時期にさしかかっている森林が増大している。しかし、伐採しても収入になりえない状態で高齢林に収穫の時期を延長しようとする方向が生じてくるのは当然である。そこに、間伐が手入れ方法として重視されてくる。また、当面の森林利用に木材収穫への期待が少なくなる中で、環境保全や景観、休養利用などの非経済的利用に注目が集まっている。これは、土地所有者と一般住民の立場の相違を表すものでもある。土地所有が公有である場合は、住民の要望が森林利用に直接反映することになる。駒ヶ根市における池山の市民の森はこうした条件で成立したものであろう。また、南箕輪村大芝原村有林における生活環境保全林整備事業も公有林→休養利用の図式である。とくに、生活環境保全林整備事業の実施条件が、保健保安林の指定地、公有林のまとまった団地である点で、一般的に公有林→休養利用の図式を作り出した。しかし、公有林のすべてが休養利用に提供されたわけではない。休養利用のために提供された森林のほとんどが公有林であったというだけである。
 長野県のような山岳地域を例に見れば、山麓に集落があり、その里山利用として、共有林と個人有林が山麓に連続した山腹を占めている。山岳地域の奥山に当たる部分は、各地の藩の支配下に置かれ、明治になって官林に編入され、やがて、国有林経営の元に置かれることになった。里山と奥山の中間地域に、個人有とならなかった入会林などが、集落、旧村の財産区有林さらに市町村有林とされてきた。また、市町村の上位に県有林が成立した。一方、利用という点からは居住地に近い場所が風致林設定に望ましいといえる。この二つの条件から、風致林は山地の中間地域に出来ている場合と南箕輪村大芝原、松本市千鹿頭のように居住地近くに公有林があって出来ている場合がある。

森林公園と風致林
 風致林は風致保安林、自然休養林などがイメージされ、森林公園のイメージとも重なってくる。また、都市公園の一種である風致公園とも重なってくる。風致施業が行われている森林といえば、嵐山がある時期そうであった。あるいは風致地区に指定されて場所にある森林は風致地区を構成する要素であろう。利用面の休養、風致と森林、場所と管理面からの公園、居住環境と森林、は上記の様々な組み合わせで使われ、風致林の定義はなかなか困難である。
 歴史的な展開としての森林風致の概念を清水が明らかにしている。森林と風致(森林における風致)を風致と森林(風致のある森林)にしたところの風致林が実際にどこに該当するか言い切ることも難しいことである。ザリッシュは公園施業と森林美学の対象とする施業林の美的取り扱いとを厳格に区別しようとした。公園施業は森林施業を逸脱しており、森林美学の対象ではないとしたのである。風致施業は通常の森林施業と技術的には同一であるが、施業林の美的風致的取り扱いを施業の一貫性の中に包含した場合の表現と考える。森林美学は林学の一部として、施業目的を利用だけから、利用と美の調和へと広げようとしたものであった。森林美学から考えれば、日本の風致林は森林施業を放棄している点で公園施業に過ぎないものとなる。風致利用を目的としない森林経営、森林施業地にかえって、森林美学の対象となる風致施業が成立している場合があるのだろう。
 では、風致林は森林公園と一致するものとした場合、そこに、森林施業は無くてよいのであろうかという疑問がある。風致鑑賞や休養利用の目的に合致して森林に施設配置を行い、森林の美的整備を行い、施設と森林を固定的に維持することは、長期的には困難である。樹木は成長し、森林の構成を変化させる。そこで、再度の整備が必要となり、この繰り返しが生じる。計画目標はそのたびに異なる。森林の取り扱いには長期的な管理が不可欠であり、森林の変化に即応した目標を立てなくてはならず、森林施業を不可欠としている。また、そこで、木材収入を副収入としても得られることは有利であり、現実的に合理的である。
 森林公園の多くは、施業地、植林地を転換させて成立した場合が多かったといえる。そこでは、施設整備や公園施業がそれまでの木材生産だけの森林施業を転換させる上で必要とされたが、公園施業を固定的に考え、木材生産の持続をあきらめている場合が多いと思われる。森林公園が多く設置された時代から30〜40年を経過した現在、継続的な森林管理が停滞している例が生じているだろう。嵐山におけるアオキの繁茂、赤沢におけるアスナロの繁茂などを上げることが出来る。そうした問題の放置は森林を荒廃させ、ひいては利用者減少の要因となる。

風致林の成立
 清水の明らかにした森林風致の歴史的展開において、田村の帰結した森林風致の実現は、「保健休養林」であり、国立公園の特別地域のバッファーゾーンとして位置づき、林業経営が成立するもの期待された。戦後、休養利用の増大に即応した自然休養林、森林公園は、田村の期待に該当する面が多分にあるだろう。しかし、そこでは前述したように、森林施業が軽視されていた。また、国立公園に広い面積を占める国有林が経済林業を志向し、奥地の森林開発に乗り出し、国立公園と自然保護を巡って対立的な関係となったことは、大きな誤算となったであろう。
 風致林の理想的な成立要件は風致施業が行われ、風致のある森林とし、森林において風致を楽しめる状態を持続していることとすれば、やはり、フォン・ザリッシュの森林美学に記載された主張が該当しており、ザリッシュは自らの森林経営において風致林を実現していたと考えられる。現在の日本でも、森林公園の是正として森林施業の導入が図られる所も見られ、また、地域共同による森林育成を通じて風致林に接近する試みも生じているといえる。