森林療法研究への問題

はじめに
 出版案内で「森林療法最前線」が出版されたことを知った。著者は以前、私の研究室で博士論文を提出したので知己の間柄であるが、しばらく、会っていない。森林療法は私の専門ではないので、著者は独自の努力で、博士論文を完成させ、博士取得後も非常な努力で研究者の職を獲得し、また、社会的活動に博士論文の成果を生かして、展開し、著名になっている。著書も数冊に及んでいて、私の及ぶところではない。しかし、その展開が広範になればなるほど、個人の範囲を超えてしまい、とくに、研究における責任が及ばないことになっているのではないかと心配している。
 博士論文における研究の粗さは、研究の持続によって補われることを期待していたが、展開のあまりの拡大に、かえってその粗さが拡大するのではないか。社会運動としての森林療法の展開にも目を見張るものがあり、著者が実直に対処していることは信じられるが、研究者としてかえって負担が増し、社会展開の正当化や是正にも大変な努力が必要なものと思うのである。知己としては著者を励まし、支えることが役割ではあるが、研究者としての立場からはその粗さを批判し、是正を促そうとしたい。と言っても接点は大きいわけではないので、森林風致研究の立場からだけのものである。
 著者がこのブログを見るならば、コメントを頂くことを願っている。コメントに対する回答コメントで議論を進めたいと考える。

森林セラピーと森林利用
 森林療法は著者の博士論文の題材であったので、著者の身を挺してのご苦労はわかっているつもりである。治療のための療育施設の療養の介護は非常に過酷で、治療方法は試行錯誤で苦労があり、その苦労の中で研究上の験証を行った著者の努力は並大抵ではなかった。森林作業を療育方法として採用し、その療育効果を長期の観察から明らかにする必要があったが、著者も各地を巡って確認したように、森林作業療法は一般的な方法として確立しているわけではなかった。日本の施設の事例も森林作業療法としてではなく、多様な療育方法の中の一部としての森林作業であり、場所であった。療育のプログラムも森林独自のものではなかった。場所の条件も森林を不可欠なものとして採用している施設はなかったのではないだろうか。
 森林作業が多少とも療育効果があったと験証することができても、その効果の要因は療育者の努力の結果であることが大きく、森林作業と環境がどのように効果に影響を及ぼしたのかは、解明できなかったのではないだろうか。森林環境の条件は多様な要因があり、変化に富むものであることは明らかだが、その環境が何かも明らかにはされなかった点も大きな問題であった。
 森林療法と森林セラピーとは異なるのであろうか。私たちが村有林の整備に村民の同好者ととともに会を作って森林育成を検討し、生活環境保全林整備事業に同調して、その検討結果を組み込んでもらうように働きかけ、森林風致研究の対象としていた森林で、森林セラピー事業が導入され、それに協力しなかった結果、村とも疎遠な関係となってしまった。
 森林セラピー事業は出来上がった森林を利用するだけで、森林を育成するものではなく、どんな育成目標を持つかも示されなかった。疑問としてどんな森林にセラピー効果があるのか、わからないままである。森林利用者は地元住民が多く、森林は林業目的から転換しても、一貫して村民の森として親しまれた場所であった。生活環境保全林として整備は居住環境としてのレクリエーション利用に役立つものとなり、利用を増大させていた。セラピーの利用目的を持った利用者が増大したのかは定かではない。村は観光客の増大によって宿泊などの施設の利用増などを期待しているようである。
 森林療法と森林セラピーの違いは著者の意見が示されているだろうが、まだ、著書を手にしていないので推定してみたい。森林療法は療養施設における、療育を専門とする技術による医療効果であり、森林セラピーは森林のセラピー効果への期待によって利用を行うということなのであろうか。しかし、いずれも、医療技術、森林のセラピー効果にかんする確実な実体に欠けているのではないだろうか。森林療法が具体的な療養の必要とその治療方法として追求されて行っているならば、実体がないとはいえないだろう。現に、著者は各地でその実例を紹介しているのであろうから。しかし、森林環境とその効果の関係についての究明が薄い点では森林セラピーと同列ではないだろうか。

森林美学について
 森林美学はドイツにおいても、日本においても古典的な書物である。特にフォン・ザリッシュの森林美学はいずれ、和訳が出される予定であるが、施業林の美の問題を扱っており、広く林業の成立と関係している。また、森林風致への歴史的展開に関して清水が論文を発表している。森林環境の持つ、美的、風致的効果は、林業技術とともに奥深い可能性を有しているといえる。おそらく、セラピー効果、療育効果も含まれるかもしれない。この論証はこれからの問題である。
 広い森林美学の問題を局所的な森林効果から問題とすることは間違いである。療法として使われる森林作業も単なる人間の遊びではなく、森林を育て利用するために行われる様々な作業の一部であることで意味づけられる。森林でアートが行われることもあってよいであろうが、森林をアートの対象とすることは大きな誤りであると言いたい。著者はアートをどのように定義するのであろうか聞きたいところである。また、再度、森林療法にとって効果を持つ森林環境とは何かを質問したい。