美人林の写真家

はじめに
 今日は佐藤一善さんの写真展を名古屋に見に行こうとしている。佐藤さんは松之山の写真家で、いや写真家というよりは師匠と呼ばれている。松之山の棚田とブナ林を写真によって世の広めた功労者である。
何度か松之山にお邪魔し、学生の専攻研究にも大変、お世話になった。写真の見所で、棚田とブナ林の見学地図が作られているが、佐藤さんの選定によるものだろう。しかし、その地図を使っても、現地に到達するまでに迷ってしまう。山村の細い道路網は生活している人でなければ、わかりにくい。
 あちこちの現地を案内していただいて、すばらしい風景を目にするが、師匠の写真のような風景はどこにも見られない。詩情に満ちた風景はどこにあるのだろうか。師匠の写真は小さな平面の枠の中で、現地以上のものなのだ。写真の技術は重要な要素であるが、どの一瞬の何を写したいかが最大の要素なのだとわかった。どの一瞬かは師匠の生活そのもの中にあって、写真の詩情は師匠の心なのだったとわかった。

写真展
 名古屋の立派なビルの2階に会場があって、会場は多くの見学者が見られた。その中で師匠は少し頼りなげに見えた。写真は美人林を中心にしたブナ林ばかりが、選りすぐって選ばれたものであり、一枚づつがいずれも、見事であるとともに、写真展全体が森林の様々な季節や時刻、森の部分や全体、水や雪、光との交差した写真の様々な風景から構成されて、不思議な森林の中にいるような趣があった。師匠はその写真の中心にあって素朴に飄々としていて、最初に頼りなげに見えたのは、見学者の中にいたせいだとわかった。
 東京、大阪で写真展を行い、名古屋は最後を飾るものだった。師匠は故郷の松之山からわざわざ、都会で写真展を開いた理由は、写真家としての作品展示であったろうが、松之山のブナ林や棚田(今回は棚田の風景は展示されなかったが)の限りない愛着と山村風景への毅然とした誇りを多くの人、都会の人にも伝えたかったのではないかと推し量る。それが、展示された写真からしみじみと伝わってくるものであった。