伝説の風景

はじめに
 人工の環境は自然環境と同様に、風化して自然とともになろうとする。人の使わなくなった施設は放棄され、廃墟となって自然の中に埋もれる。かって、どうであったかは、その廃墟から空想してみる他は無い。人が使い続けている環境でも、時とともに使う人が年老いて、以前の環境も風化によってその姿を変えて行く。風化とは逆に、そこで、生活し、施設を使う人がいる限り、人工が新たに修復され、新たな建設もなされるかもしれない。
 しかし、いずれのしても、時間の進行に伴う変化は、昔の状態への記憶を薄れささせる。現在に残された過去の痕跡、書き残された記録も霧散して、現在の姿を目前として、過去は謎に包まれる。その謎を解こうと、埋もれた過去を掘り起こし、記録を改めて、昔の姿を再現しようとする人がいる。昔を再現し、記録を改めても、それは現在の姿を説明するための、新たな記録を生み出すことなのである。
 過去から現在への流れは、伝説となって伝えられる。林道建設の飯場があった場所、そこで働いていた女性が工事の終了とともに、建設人夫とともに何れかにいなくなってしまったこと、もう、飯場の跡形がなくても、その緩い地形に昔を覚えている人もいる。そんな話はいろいろあるが、それに何の意味があるのか、そんな記憶も風化して何も無かったことになるのだろう。一方で新たな記録者は伝説を作るのに必要な記録だけを材料にして、無益な記録を消し去っていくのであろう。

南アルプス林道の伝説
 ある山岳雑誌に南アルプスの現状をルポ記事にしようとする人が、明日、私の元を訪れるという。昔を知っているので、話しを聞かせてもらいたいという。昔を知っている人は大勢いたはずだが、40年近い歳月に私だけが残っていたのであろうか。建設を推進した村も合併によって、独立してはおらず、役場の人も新たな組織でばらばらになっているのであろうか。過去を伝承する立場にあるとすれば、新たな伝説に手を貸すことにした。
 その人は、私の話を聞いて、林道を歩き、写真を撮り、現在を説明する伝説を生み出すのであろう。しかし、その記事もやがては埋もれていくのであろう。掘り返し、掘り返す人がいる限り、また、復活するかもしれないだろうが。
 その人は単なる山好きに過ぎなかった。過去を再現して想像する熱意も無く、ただ、山の風景を楽しむ人であり、その風景写真に過去を偲んで見せる一文を加えたかっただけのように思えた。少し、腹立たしく、当時の状況を再現して見せたが、それはそんな記事の無意味さを伝えたかっただけなのかもしれない。現在をただ楽しむ人は、過去のことなどどうでもよいのだろう。林道に反対し、また推進したそれぞれの立場の人々が年老いて行くにつれて、伝説も残らずに忘却されていくのであろう。
 ただ、林道が残り、その林道によって新たな森林の変化が生じている。ただ、その現実だけが、南アルプスの自然の伝説なのであろう。