空間の構造化−仮説の意識構造

はじめに
 意識において予見としての仮説が組み立てられ、未知なる対象を仮説的に認識し、それと反する事実によって仮説を否定する仮設によって認識が深められるという、単純な弁証法の理解にとって、仮説の意義を認めている。事物の全体像の構造的理解は、一部の知覚による事実の経験による認識だけでは到達できない点で、事物の全体像を懐疑から認識へと到達するために、経験の蓄積を論理化したもの弁証法といえなくも無い。経験の蓄積も試行錯誤によって、条件反射的に一連の行動形式を習得するのも生来的な弁証法的過程であるのだろう。こうした点で仮説の効用、確かめられない疑惑に対する仮定を意味あるものと認めている。すなわち、私が基本的には懐疑論者であることを意識している。
 となれば、このように意識を意識していること自体も仮説なのである。そこで、意識を仮説構造としてとらえること明らかにすることが必要である。心理学と脳科学を根拠として、高次神経系の実体は相当明らかであることも、この仮説の前提として重視することが必要である。あるいは、科学として追及された諸説自体も仮説としての究明の途上に置かれていると考えらているようにも思われる。
 自分自身の発達過程の体験における空間の構造的認識はいかなるものかを、この仮説の意識構造として考えて見た。おそらくは既にこうしたことは考えれているであろうから、こうした点で所説に対して大きな独断と幼稚な議論となるだろう。

発達過程
 赤ん坊の頃は誰も記憶がない。では、いつごろから記憶があり、それ以前は覚えていないまでもどんな意味があったのかを考えて見よう。3歳の頃、終戦の年だが、空に見上げた米軍の爆撃機の編隊、空襲警報に逃げ込んだ防空壕の記憶がある。その前に住んでいた場所の記憶はないから、3歳からであろう。3歳以前、写真が残っている。意識は外界を知覚しても定かには認識できなかったのであろう。最初に視覚はないのが、味覚と触覚から外界を感じ取れたであろう。聴覚が最初からあったかどうかはわからないが、目の見える以前に反応が始まったのだろう。嗅覚はどうだったのかは全くわからない。随分後になって、3歳をこえてから嗅覚が結構鋭いことに気がついた。3歳までに外に飛び出していたから、見てしゃべることが多少できたのであろう。生活空間は赤ん坊では寝ていたり、おんぶされたりで、親の庇護下にあったのであろう。それが、部屋から家の中によちよち歩きで拡大し、家の外で別の子供などと接するまでになっていったのであろう。
 世界が戸外に広がり、子供同士の関係も広がって行くとともに、未知なる世界が急速に明らかになるが、さらに未知なる世界が広がる。その疑問は言葉のなぜなどの疑問符の質問に、得られた回答で理解し、認識する。どんどん、鵜呑みの回答で知識を広げ、経験の反復で思考を深める。そうした子供の世界の認識の深さを記憶している。大人の世界は子供の関心からは別次元であった。外界の広がりは子供の世界の広がりであり、その世界から外れたところは、大人の未知なる現実があった。これまでの発達過程は児童心理学で明らかなことに共通している。
 こうした子供の世界にも大人の世界が連続していた。それは家族における親とともにある近隣の地域社会であり、親を通してより未知なる大人世界に接触していた。子供から大人になっていくのつれて、自分自身が大人の世界に直接接触して、大人との関係を生じさせて行く。大人の世界は未知ではなくなり、自分自身の世界となっていくといつの間にか、子供の世界が失われていった。それは、中学生の頃であったかと思う。しかし、その時期は社会人としての大人になるための予備過程で、半大人であった。
 少年期は大なり小なり、学校制度が生活の中心を占めていたといえる。社会的には学校の生徒であり、家族は子供をそこに預け、子供は学校で友人を作り、知識と興味を増大させた。しかし、こうした学校制度の中に、社会の矛盾があり、知識や興味への偏向が存在しており、世界を狭めていたといえる。それを乗り越える教育的理想が学校に存在したから、その世界の狭溢さも我慢できたのであったかと思っている。