森林と眺望

はじめに
 森林は地形を被覆し、地形を骨格とした景観を樹高分だけ高め、林冠の凹凸は肌理と色彩を与える。しかし、より以上に、林内という視界が森林によって遮られ、森林によって構成された新たな空間を作り出す。塩田先生による眺望と囲繞の視覚的景観区分に、林内は囲繞景観の一つとなった。眺望景観と囲繞景観は視界となる空間の広がりと閉鎖と考えれば、どこまでが閉鎖でどこから開放なのかが問題である。カミロ・ジッテの広場空間の考察は広場を囲む壁の高さと広場の広がりである距離との関係によって、適度な開放と閉鎖の比例関係を提起した。居住空間である建築の内部が蜂の巣のように存在する都市には地上からの眺望景観が得られない点で、広場と街路の限られた視界は重要である。しかし、空間が壁に囲まれた広がりと考えれば、それは閉鎖であり、眺望とは言えない。眺望と囲繞とは連続的な関係ではなく、対立的な関係であるかもしれない。
 眺望を空の広がりまでの開放空間とするなら、地平線が眺望に存在しなくてはならない。山並みのスカイラインは地平線ではないが、山の高さと距離によって高さが低く、距離が増大する程、地平線に近づく。また、山頂に立てば地平線までの視界が得られる。カミロ・ジッテにならって、高さと距離の関係でどこから、眺望が意識されるのか、考察すればよいのかもしれない。あるいは、ヴィスタの透視図法において、閉鎖感の距離と開放感との距離の関係を見出すことも考えられる。一方、眺望を主要な要素とする景観にとって、視界の部分的な閉鎖は前景として景観構成の部分となり、眺望の効果を高めるもの考えることができる。距離によって眺望の構成を区分すると眺望を遠景として、前景となる近景が重なる。
 遠景を地形景観、前景を森林空間となる景観構成において、遠景的であり、かつ、近景的であるという、中景が存在し、中景を中心とした景観に絵画的な興味が生じる点で、風景の知覚が生じるのではないかと仮定したのが、中村であった。しかし、その仮定は嵐山の風致施業として実行に移されていた。

林内空間
 森林が地形を被覆し、地上の人間は眺望の視界が開けなかったことは、原始時代、日本では縄文時代の遺跡に、特別な見晴らしの場所があることが、それを示している。見晴らしの場所は、獲物の移動、外敵の侵入を防ぎ、避けるために重要であったのであろう。