生活空間と大気

はじめに
 地表が大気に覆われており、地表で生活する人間はその大気を呼吸し、風を感じて生きている。大阪から来た友人は信州の空気は違うという。大都市の人口集中によって高密な居住地となり、大気汚染も生じていることから、都会の生活空間の空気が、地方の生活空間とは相違していることは確かだろう。また、信州の標高と大阪の標高の違いで、夏の寒暖の差があることあり、信州では植物はいち早く秋の気配となり、虫の声がかしましくなってきたようである。日中の暑さも夜の風は涼しくなって、夜風に吹かれて寝ると野外の様子も感じられて、自然に帰ったように、気持ちよく寝られる。しかし、大阪の友人は寝るときに窓を閉めるという。大阪では夜でも暑くて寝るためにはエアコンが不可欠なのであろう。日中の暑い日射と暑い大気は野外で行動することをつらくする。日射が無くなる夏の夜は長く、散歩にも適している。折角、空気のよい信州でも、大阪の友人は夜風は寒く、風邪を引くと思っているのであろう。
 外部に壁を作って遮断し、空間を戸内と戸外に分ける住宅は内部を部屋に区切って互いに遮断した空間を作り出す。その閉鎖した空間を窓と戸によって空間の一部を開放し、大気を導き入れる。しかし、外部の環境の影響が悪い状態であればあるほど、大気を遮断し、また、プライバシーのために戸を閉め切らなくてはならない。大阪の友人から大都市の生活空間が厳しく、それだけ、窓や戸を締め切り、閉鎖的な居住空間を作り出していることが感じられた。

住みよい生活空間の均衡
 人間の生活は、生存空間は自然的環境の広がりとその活動は社会的な広がりを持っている。大都市と地方との差は、社会的関係における広がりが大都市が地方に対して大きく、生活空間は地方が大きいという相対的関係を考えることができるだろう。程よい広がりが自然と都市が調和した生活空間の快適さの条件といえるのではないか。地方都市の住みよさがそうした調和にあり、都市規模の拡大は都市的生活の展開の結果であるが、集中によって都市的生活を困難とする上に、自然から遠のく結果、調和の均衡が崩れていくということになるのであろうか。
 大都市への人口集中から地域の住みよさが問題となり、住みよさのランクが指標を決めて選定されたということがある。しかし、人口集中が改善され、地方都市に人口が回帰することは顕著に生じなかったのではないだろうか。地方の沈滞と都市への憧れとともに職場の選択の多さなどがその原因なのであろう。地方の産業や文化の振興により、職場の拡大が地方の活性化に必要であり、地方の活性化がなければ、人口回帰による住みよさの実証はなされないだろう。大都市の行き詰まりが、同時に地方都市の行き詰まりとなっているだけでは、住みよさの評価は行動に移されないのだろう。
 風通しがよいと閉鎖的であることは、大気と空間に当てはまることであるが、比ゆ的な人間関係、社会関係にも用いられる。空間を区切ることは生活空間に不可欠であるだろうが、空間あるいは状況に大気がよどんだ時、その区切りは閉鎖となって、生活を困難にしてしまう。いずれかに、開放を求め、自由な行動の空間を確保しなければ、生活できない。人の希求する住み良さは自然との関係、風通しと不可分に結合している。