森林風致と公園施業

はじめに
 フォン・ザリッシュの森林美学において庭園と公園、森林美の区別がどこにあるか、公園における森林は森林美学の範疇に入るのか、林業、林学の一環として成立させようとした森林の美的取り扱い、森林美学とは何かが問題であった。公園に適用される森林の取り扱いこそ森林美を生み出すものとして、クラフトの公園施業の提案がなされたことに、ザリッシュは危機感をもって、反論しようとした。公園における森林の取り扱いにおける美は、森林施業の一環から生み出される美とは相違している。ここでの公園はparkであり、森林を狩猟の場として利用し、狩猟は領主の趣味であるとともに、客へのもてなしの場としたものであった。庭園を公衆のために提供して生まれた公園の表現は当たらないだろう。しかし、parkも公衆のものとして解放され、公園となることもあったのだから、森林美学で論じられた公園施業をそのまま使っていこう。

公園施業の森林美
 公園施業の目標とする森林美は、公衆に対するものであり、視覚的美として、風景式庭園に連続している。そこには、林業における森林と共通するところはなく、木材収穫の利益への関心から離れている。公衆のレクリエーションの場を設定して、林業技術の効果を示し、林業による森林の取り扱いに公衆の口をさしはさませないような意図があったと考えられている。林業の森林施業はそれだけ非難されるようなものであったのかもしれない。公衆の期待に応えるたんめに、何人かの森林家が公園施業の効果を提唱したが、森林美の部分的効果を利用するものであり、結局、絵画的な人工美であったいえる。
 すなわち、樹木の樹形を際立たせる孤立木の効果であり、樹林のボリュームや、樹種によるコントラストや調和の美を意図的に発揮させようとするものだった。こうして森林は孤立木や樹林に疎開され、その疎開した部分は公衆の公園的利用の場として、道や広場の広がりとなったのであろう。この利用面や樹林の視覚効果は造園家の領域であろう。あるいは、森林家の力の発揮の可能性もあるが、造園家の協力なしには効果を上げられないことだろう。ザリッシュは造園家と森林家の協力で効果的な公園施業の例を示している。

武蔵丘陵森林公園の森林
 私も以前住んでいた近くの大芝公園と公園林でこうした公園施業の問題の一端に触れたことがある。この問題に先立って武蔵丘陵森林公園の見学に村の用意したバスで住民一同が出かけたことがある。森林だった場所を大規模に開発してできた公園で、森林を残して活用している点で、公園と森林の接点の問題があることが予想できた。
 武蔵丘陵森林公園は、森林公園ブームの中で生まれた国営公園である。当時、この公園の設計コンペがあり、牛糞の匂いのする現地を歩いたことがある。武蔵野といえば、雑木林であるが、農村の雰囲気のある場所だった。それ以来の来訪であったが、整備された道路、入り口の大規模な駐車場、広大な敷地に展開する森林に囲まれた公園は、東京から大量の利用者を受け入れる条件を整えている。中に入り、水辺や花壇の園地から、歩道や自転車道、回遊バスの走る幹線道のネットワークは大量の利用者を導入する基盤として最適と思われた。森林を開いた広場が休息ポイントとなって、林間歩道は散策と自然とのふれあいができる施設である。
 しかし、森林管理には人手が避けないようである。ボランティアによる雑木林の手入れも、ボランティアの参加者の人数に応じて規模は小さく、広大な森林の手入れが手につかない状態であった。造園的な施設の充実で利用を受け入れていたが、森林管理の方策は見出していないようであり、参考となる公園施業の見出すことはできなかった。森林家の協力は得られなかったのであろうか。唯一、広場においてアカマツを散在して孤立したその樹形が芝生の中で生かされているところがあった。森林内への利用の導入は、森林の暗さとともに、林床を裸地とし、放置はササを繁茂させ、人の接近を困難にし、広大な森林が公園利用のネックとなっているように感じた。現在は改善されているかもしれないので、これは過去の見聞である。
 森林管理には木材利用の目的がわずかでも施業が必要であり、公園利用の範囲を森林に広げる場合の公園施業は森林の条件を超えて草地の中で行われるとしたら、毎年の草地管理の困難さに対して、面積を拡大することはできないというザリッシュの考えは妥当である。

大芝公園の森林
 大芝公園大芝公園林は隣接し、もとは大芝村有林として林業経営がなされていた場所である。その半分の区域を限って公園区域となったのは、国体の会場の一部として運動場の建設があり、高速道路の建設を前にゴルフ場への貸与をめぐって議会が紛糾し、結果的に村民のための公園として位置づけることになったからである。広い森林の一部に施設したことでゆとりのある公園となり、地方都市の郊外公園として都市公園の整備がなされた。その後、子供未来センター建設が決定し、その敷地の区画の森林を伐採したところで、中止となった。
 公園施業を問題としていたのは、この子供未来センター建設以前のことで、振って沸いた施設の建設に驚かされた。公園区域の森林は、利用の増大とともに、教育委員会の部局の公園管理室で草刈を中心にした管理が5〜6人の作業で行われていたが、さまざまな問題が生じていた。また、公園林の部分も森林経営が行われなくなり、放置されるようになった。こんなことから、村の林務係と管理室の担当者からの相談のもとで、住民の検討会が発足し、前述した武蔵丘陵森林公園の見学となったわけである。
 まず、道路沿いの区域の草刈を50m幅で行っていたが、労力が大変であることが問題となった。火災の危険で枯れ草が残らないこと、ゴミなどの放棄への対処が草刈の目的とされていた。その管理の幅を10m〜20mに縮小し、40m〜30mの区域には潅木、低木の生育を待ち、アカマツ林を二段林とすることで、草本の繁茂を抑制する方策が考えられた。下層の低木層を二段林に生育するために、高木層の間伐が必要との合意を得ることになった。残す高木が道路に面して、樹形が楽しまれるような配慮も必要で、下枝を残すためには、樹冠が道路に張り出さないために、樹冠分を後退させるための伐採も必要となった。こうしたことから、林縁の公園施業が始められた。
 次に林間を公園利用されている区域が踏圧による裸地化が問題となった。踏圧の影響を川崎先生の研究室で行い、高木層にまで影響していないことなどから、表面の侵食を補う土砂を表面に敷き均し、また、利用動線を制限し、林床の緑化ともなるよう、動線沿いの草刈を制限し、また、高木層の間伐によって下層を明るくすることにした。やはり、この方策に美的配慮となる公園施業とした。
 芝生地の広場を囲む森林は、下層を人々が入る緑陰となり、また、潅木と野草が鑑賞されるように、枝打ちと選択的な草刈が行われていたが、樹形の魅力による風景効果のためには、間伐による公園施業が必要であったが、枝打ちのために手遅れであった。子供未来センターの建設中止で伐採地が広大な芝生広場となった。その周辺の森林の林床の芝生が衰退し、森林は広場を囲む硬い壁となった。芝生の復活と壁の解消のために、森林が様々な群となる間伐を行うことによって、芝生地に面した樹林風景と緑陰が出現したが、これらは公園施業と言えるものだろう。
 こうした公園施業が容易に可能であったのは、もともと森林が存在していたためであり、伐採による除去で残された樹群が風景を構成できたからであった。植林から進めたとすれば、計画的にはできただろうが、長時間の森林育成期間に風景の魅力は失われたままであったろう。計画的な公園施業ではなく、施業林として成立していた森林の転換がこの公園施業を可能にしたのである。