大気の感触 環境知覚の仮説

はじめに
 だいぶ寒くなってきた。大気の寒さを何か皮膚に当たる塊のように感じる。夏の熱気のこもった暖気に包まれる感覚とは少し違った感じなのではないだろうか。寒さに身を任せて大気を受け入れていると、いつのまにか、皮膚自体が冷たくなっていることに気づいた。和辻の風土はこうした大気の寒さから始まっている。
 大気を感じる感覚は、皮膚全体から感じられ、熱さには汗によって反応し、寒さは身をを縮める反応をし、風の圧力や冷機を当たった場所で感じる。感覚器官が目、耳、鼻、口の五感の4感が顔に集中しているのに、皮膚だけは身体の表面全体であり、温度、圧力、痛さなどを感じ、傷に血を流し、治癒する作用ももっている。皮膚の下の筋肉は行動を起こす器官であり、皮膚は行動する感覚に連動している。外界を行動を通じて全体的な環境を認知するものが皮膚感覚といえるだろう。空間、大気、事物を接触によって感知する感覚である。周囲を環境として行動する動物にとって触覚は普遍的な感覚、進化からは原始的感覚といえるのだろう。
 しかし、人間の触覚は皮膚の中でも、手による感触が優先しているのではないだろうか。手による動作にとって感触は重要であるから、樹上生活者のサル類には手の感触が優先するのは当然である。さらに、人間は道具を使ってさらに複雑な動作を手によって行う。サル類の中でも遥かに鋭い感覚を有しているに違いない。人間の手の感覚が大きな比重を占めていることは脳科学でも明らかにされている。
 外界の知覚に対して、皮膚全体による感覚と手先の触覚とはどのように関係しているのであろうか。手先の動作は目による視覚と連動していることは明らかであろうから、手先の触覚は目による事物の感触に結合しているだろう。皮膚感覚は、視覚とはほとんど連合していないのではないだろうか。その感覚が大気からである限り、目に見ることはできないからである。大気という点では、匂いは嗅覚で知覚するが、皮膚感覚とは遊離している。匂いが食べ物に由来する場合は、味覚と関係するであろう。食べることには口の中の触覚が関係する。食べ物を獲得する上では視覚が関係する。味覚を通じて、視覚、嗅覚、触覚が同時に作用している。
 音は大気の振動である。なぜ、動物は聴覚を必要としたのだろう。風の音や鳥の声を楽しむためではなかったことは確かだろう。草食動物が捕食者が近づくことを察知するために役立ち、互いの警戒を知らせあうためだったのか。鳥の雄が雌を呼び寄せ、雄どうしが威して縄張りを確保するためなのか。だとすれば、風の音や鳥の声からそうした意味ある音を識別する必要があるのだろう。風は圧力として皮膚に作用し、音と連動して区別できる。流れの音は場所によって生じる恒常音で区別できる。

皮膚感覚と空間感覚
 感覚が空間全体を知覚し、空間全体が作用する感覚は、空間を充たす大気を通じて知覚される皮膚感覚であるだろう。生活過程において環境を風土として行動ー感覚ー環境が結びついた風土の意識が関係するのも、皮膚感覚であるのだろう。大気の変化は風がもたらし、場所の移動がもたらす。風は天候と関係し、気象、季節、気候の変化に関係している。場所は雰囲気の相違として意識される。
 変化の予兆が風の性質、風向きの変化としてもたらされる。予兆が気象や季節の変化として実現し、空間が全体的に変化するとき、皮膚感覚とともに、大気の混濁、空間の明暗、色彩の知覚として視覚と関連する。皮膚感覚による大気の全体性と視覚による空間の統一とは関連しして、環境と場所の状態を総合して知覚させるのであろう。原始的な皮膚感覚から環境を直感する全体的知覚は、一度に表現は難しいが、生活に不可欠な重要性を持っていることはまちがいない。この知覚に違和感が生じるならば、その違和感がどこから生じるかの判断が必要だろう。